こんばんは。
しばらく更新をお休みしようと思います。
ご了承ください。m(__)m
(追伸)
今日から明日にかけては「24時間テレビ」だったなあ。
今回もNHKの「バリバラ」は24時間テレビを茶化したTシャツを着て番組を放送するようだ。
こうなったら紅白歌合戦も茶化して「虹色音楽祭」を開催してほしい。
おはようございます。
週末も暑かったわ…関東地方はようやく今週晴れそうで長雨から解放されそうだけど。
本シリーズ連載で、父親のことを「毒親」などとこきおろしているが、はっきりいって父親に対しては複雑な心境を抱いている。
このことについては後日詳しいことを綴るつもりだ。
昨年見た映画「校庭に東風吹いて」は、「場面緘黙症」を抱えた女子生徒と、彼女の力になりたいと奮闘する担任の教師を中心とする物語だが、女子生徒の母親が「毒親予備軍」としてふるまっていたのが印象的だった。
「何かありましたら先生も力になりますから」と担任の教師が言っても「先生に娘の何がわかるのか」と一蹴したり、中でも女子生徒本人に対して「あなたのことを一番理解しているのは母親である私なんだからね」と刷り込もうとしていたのは「ああ、これは毒親になりますわ…」と思ってしまった。
映画についての具体的な感想はこちらの過去記事を。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
「お前のことを一番理解しているのは親である私だ」「親以外に味方なんていないんだからな」…
私も、父親からさんざんこのようなセリフを聞かされた。
特に、福祉制度をいろいろ利用していた時に、「お前、そういう制度や人たちが自分を助けてくれると思っているのか」「そんなものにおまえの味方はおらへんぞ」とかさんざん刷り込んできた。
むろん、「大佐(精神保健福祉士)」のこともさんざんこき下ろした。
父親には、「父親が味方にならないから自分で味方を作ろうとしている」ことが全く分からないらしい…
「お前の味方は自分しかいない」「自分こそがお前の理解者だ」
これらの言葉は「毒親の始まり」ともいうべきキーワードだと思う。
それではまた。Adios amigos!!
こんばんは。関西地方は今日も暑かったです。
関東地方は相変わらずぐずついているようだが…
さて、今回はシリーズ連載「毒親の条件」の第2回。
父親は大の阪神タイガースファンだ。
その阪神タイガース、昨年はある試合においてエース投手の「藤浪晋太郎」氏に序盤で大量失点を招いた責任として交代させずにそのまま「完投」させたことが話題となった。
監督の「金本知憲」氏の「パワハラ采配」としてね。*1
この「パワハラ采配」に対し、父親は、
「あれくらいさせないとプロとは言えんわ」
と言った。
私は背筋が凍った。赤の他人に対してこんな態度なのだからこの父親は私がひどい目に遭ったとしても「そんなのは当たり前だろう」というのだろう。
実際そうだったのだし。
このエピソードでも、私の父親は「毒親」という言葉がふさわしい人であろうことは想像に難くない。
私が大学生の時。
私は運転免許を取りたいと父親に申し出た。
父親はこう言った。
「おまえ、運転免許をとることがどんなにきついかわかってんのか。教官からは怒鳴られ、殴られたりするんだぞ!!」
「おまえは容易く運転免許とかいうけど、運転するということは命を預かることなんだぞ、それがどういうことかわかっているのか!?」
厳しいことは知っている。
生半可な気持ちで運転することは「死」につながるのだし。
しかし、父親の怒鳴りは明らかに違った。
私にどうしても運転免許を取ってほしくないのだ。
その後、2008年に私は運転免許を取ったが、ペーパードライバーである。
あのときの父親の怒号がよみがえってくるから。
最近、私は鉄道に乗って旅をすること、いわゆる「鉄旅」に凝っている。
ある日、特急列車「サンダーバード」に乗って福井県に行ってみたいと父親に話したところ、「福井へ行って何すんの?そんなところに行く必要ないだろ」と言った。
むろん、父親の「ありがたいご忠告」など無視して黙って特急券を買い、行ってしまっても構わないのだが、もし旅行先で何かトラブルに巻き込まれたら、父親が「それ見たことか」とばかりに、
「だから言ったじゃないか、おまえが父親の忠告を素直に聞かないからトラブルに巻き込まれたんだぞ」
と、延々説教を聞かされることになるのがとても怖いために、どうしても二の足を踏んでしまうのだ。
それにしてもどうして父親は子どもの行動を束縛しようとするのだろうか。
それは、いくら口で「自立しろ」といっても、本心では、
「お前が真に自立することは許さないからな」
と思っているからだと思う。(あくまでも想像です)
実際、父親は老後に不安を抱えている。
私がいないと困るのだ。
「自立しろ」というくせに本心では自立してほしくない。
こういうのを「ダブルバインド」という…
それでは次回に続きます。Adios!!
*1:ちなみに、藤浪氏はこのときのオーバーワークが祟ったかどうかはわからないが故障が続き、2軍で調整中である…
こんばんは。Buenas noches!!
今回から新しいシリーズ連載「毒親の条件」をお送りする。
はっきり言ってうんざりしている。
本シリーズ連載では、私の父親とのエピソードをもとにして、「毒親の条件」というべきものを導き出そうと思う。
あなたはケガなど、何か悪い出来事に遭ってしまい、親にそのことを伝えたとき、
「あんたがだらしなかったからそんな目に遭ったんでしょ?」
と言われたことがありましたか。
私は父親から何度も言われた。
こういうことを言われたとき、私はとても親を慕うことなどできないし、尊敬することなどできやしなくなってしまうのだ。
私の父親は、よく「特殊詐欺事件」のニュースを目にしたときにも、
「ああ、なんでこんなアホなことに騙されんねん。騙された自分が悪いんじゃねえか、ボケ」
とかよく言っている。
性犯罪のニュースでも、
「オノレが男を誘惑する服装なんかしているから犯されるんだろうが」
とも言っていた。
こういうような親は、子どもが同じような目に遭った時も同じことを言うのだろう。
たとえ、殺されたとしても「あんたが悪いんじゃないか」とか言われるんだろうなあ。
親は否定するだろうが、いつもこんな言葉を投げつけられる子どもからしたらそうとしか思えなくなる。
よく、こんなことを綴ったら、「それって親としてよく言うことじゃないか。いちいち『毒親』などと言っていたら、それこそこの世の親たちみんな『毒親』だよ」と思われるかもしれない。
問題は、「当の子どもたちがどう感じるか」である。
厳しい言動が、親自身の人生経験に裏打ちされた、子どもとしても受け入れられるものであれば、受け入れられるのだと思う。「毒親」のレッテルも貼られないだろう。
私の父親はそうではない。
先述の「特殊詐欺」「性犯罪」なんて、テレビやネットでよく見る言説だ。
そんなものでもってして説教や悪罵を投げつけられるのはとても生きた心地がしない。
多分、私の父親の態度は、「毒親」一般としても当てはまるものかもしれない。
そう思って、私は今回のシリーズ連載を綴ることにした。
次回に続きます。Adios!!
こんにちは。Hola amigos!!
なかなか更新できず申し訳ないです…
今回は、先日ツイッター閲覧して「おっ」と思った記事について綴る。
情報労連の先月7月「悪質クレームと向き合う」特集の一環の記事である。
英国のUNI加盟組合Usdaw(店舗流通関連労組)は、2002年に「Freedom From Fear Campaign(恐怖のない職場づくりキャンペーン)」を始めた。今でも毎年11月、「Respect Week(敬意を払う一週間)」を続けている。店舗で働く従業員や組合員に対する暴力や脅しが増え続けていたため、この問題を、使用者、政府、一般市民を巻き込んで解決しようとしたのだ。
「へえ、英国の労働者たちってこんなことをしているんだな」、私はとても感心した。
近所のスーパーなどでの「お客様の声」をちょくちょく見るのだが、商品や店に対しての要望に交じって、「●●コーナーの店員の態度、まじあり得ないんだけど」「●●を首にしろ」という文言が一つ二つあるのはもはや当たり前なのよねえ…
そして「お客様」の要望やらに応えられないと「キレる」の。
そんな中で、「恐怖のない職場づくり」というのはなかなか面白いなあと思ったのである。
よく、マクドナルドやモスバーガーなどでちょっとした食事を購入することがあるが、カウンター後ろの厨房を見ると店員さんは本当に目まぐるしく仕事をしておられる。
発達障害持ちの自分にはとても無理だと思うほどに。
そんな店員さんたちはどのような思いで仕事をしているのだろうか。
私は常に気にかかってしまうのである。
以前、私は「ニ●リ」でお客様を怒らせ、出社拒否に陥った。
また、それ以前には「お客様からのクレーム」と言って突然解雇されたこともある。
私の出社拒否、解雇経験などに対し、「雇われている・報酬をもらっている以上はプロなのだからお客様の要望に応えられなければ首にされて当たり前だろ」という声があるかもしれない。
しかし、プロだからといって、無茶・尊大な要求にまで丁寧にこたえる必要なんて果たしてあるのだろうか。
再び引用。
(前略) 顧客に「店員にも敬意を払おう」と呼び掛けると同時に、従業員や組合員に、「客から嫌がらせを受けるのがあなたの仕事ではない」「あなたの日々の仕事の中で客からの容認できない行為を放置してはならない」という強いメッセージを伝えるのが重要な目的だった。店員は、客からの暴言や暴力に耐えなければならない、解決策もないと思い込んでいたからだ。(太字強調は引用者)
「客から嫌がらせを受けるのがあなたの仕事ではない」
「客からの容認できない行為を放置してはならない」
いやあ、本当におっしゃる通りです。
「ニ●リ」では、私は店内清掃員として雇われた。
しかし、営業中の店内で勤務するため、お客様からは「この商品はどこにあるのか」というものはもちろん、「この商品って他の商品とは違う特色とかあるの?」などということまで訊かれた。
「申シ訳ゴザイマセン、ワタシハ清掃員ナノデ…」とはとても言えなかった。
「お客様は神様」「顧客からの要求はなんとしても応えろ」というのが「常識」だったから。
私は、店員さんに商品のありかなどを尋ねる際は「オ忙シイトコロオ時間ヲトラセテシマッテスミマセン」と言い、店員さんが私の要望に応えて下さったときは「本当ニアリガトウゴザイマシタ」と言うようにしている。
たとえ、要望に応えられなかった場合でも「申し訳ございません」という店員さんに対し「イエイエコチラコソゴ多忙ナ中手間ト時間ヲトラセテシマイマシタ」と言うようにしている。
これは、「お客様は『仏様』でありたい」という私の思いである。
それではまた。Adios amigos!!
こんばんは。Buenas noches!!
先日、「バリバラ」に出演されたある一般人が「実はタレントか何かではないか」と疑ったことを綴った。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
かつて、テレビ番組で現役芸人を「NEET」としてでっちあげた事例があった。
この番組、私の両親も見ていましたわ…(-_-;)
この番組では、「売れない芸人」ということすら説明せず(失礼)、とにかく「一般人の家庭」であると紹介していた。
しかし、ネットの住人たちは探偵・自警団的な活動もする。
番組内に芸能事務所からの訓示ポスターなどが張られていることを発見し、ずばり「こいつ芸人だよなあ」と指摘する人が現れた。
そういえば以前綴った「あるセックスアピールアイドルのDVD」の件も、ネットの住人たちの「探偵力」のなせる業だったんだよなあ…
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
とにかく、私は出演者の素性とかいちいち気にしながらテレビを見たくない。
それが私が研究する「公認されない社会的弱者」関連ならなおさらだ。
それではまた。Chao!!
こんばんは。Buenas noches!!
それにしても暑い…しかし東京はこの時期にしては過ごしやすい気温だそうではないか。
さて、昨日更新された「マガジン9」の「雨宮処凛がゆく」、今回はいつにもなく「すさまじい」内容で目を見張った。
このコラムは本当に最初から私の目をくぎ付けにした。
「CHAVS(チャヴ)」っていったい何なんだ?
雨宮氏の解説にはこうある。
本のタイトルとなっている「チャヴ」とは何か。それは「急激に増加する粗野な下流階層」。「偽物のバーバリーなどを身につけた無職の若者を中心とする下流階級」というのがそのイメージで、多くがスーパーのレジ係やファストフード店員、清掃員として働いているという。読みながら、「チャヴ」とされた人々に向けられる悪意に苦しくなりつつも、どこか既視感を覚えた。
ふむふむ、「無職の若者を中心とする下流階級」というのは、わが国の「NEET」と「DQN」を組み合わせたような雰囲気、ということか。あと「HIKIKOMORI」もか。
「既視感」というのはまさに「NEET」「DQN」のレッテル貼りと似たようなところがあるということだろう。
決して人種差別や同性愛者差別をしない人々が、堂々と繰り広げる「チャヴ・ヘイト」。そんなチャヴに対するイメージは、セックスや10代での出産、生活保護、無職、アルコール、ドラッグ、暴力、怠惰といったものばかりが強調され、偏見に満ちている。が、彼ら「白人労働者階級」は人種差別主義者の集まりなのだから、彼らを嫌っても許されるというロジックが成り立っているというのだ。
(中略)「子どもばかり産んで福祉制度を食い物にするだらしないシングルマザー」というタブロイド紙定番のイメージだ。こうして「チャヴ」バッシングは、実に政治的に使われていく。「福祉のたかり屋」を叩けば、低賃金労働者の支持が集まりやすい。
また、「憎悪ポルノ」だよ…
「セックスや10代での出産、生活保護、無職、アルコール、ドラッグ、暴力、怠惰」まみれの連中が「子どもばかり産んで福祉制度を食い物にする」ことをバッシングする。
「憎悪ポルノ(ついでに「感動ポルノ」も)」の本質は、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」。
「えた・ひにん」などという賤称語を用いて「自分はまだましだ、この世にはどうしようもない『人間の屑』がいるのだから」と認識させる。
そしてかつての「えた・ひにん」は、現代では「HIKIKOMORI・NEET・DQN」ということになる。
わが国の「HIKIKOMORI・NEET・DQN」そして英国の「CHAVS」。
以前綴った「憎悪ポルノ用語を新造してでも『下見て』暮らしたい」本質は、どうやら世界共通のようだ。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
「憎悪ポルノ」の矢面に立たされている当事者は本当に闘わなければならないと思う。
まさに、「現代版『スパルタクスの反乱』」だ。
実際、コラム終盤ではこう綴られている。
「認識すべきことはさらにある。新しい階級政治は、いまやイギリスだけの現象ではない。億万長者のビジネスエリートたちがグローバル化したのであれば、労働者階級の人々もあとに続かなければならない。選挙にもとづく政府を人質にとって、多国籍企業が身代金を要求することができるのなら、その挑戦に立ち向かえるのは、強力で国際的な労働者たちだけだ。急成長するインドや中国の労働者と提携することで、イギリスの労働者は初めて、賃金や雇用条件の世界的な『底辺への競争』を食い止めることができる」
まさにプレカリアート世界連帯、である。
今回、雨宮氏が紹介した本は、最近発売されたそうだ。
私も機会があれば図書館で取り寄せて貰ったうえで読んでみたいと思う。
それではまた。Adios amigos!!