ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

ああこれぞ、主流秩序の醜さよ!

こんにちは。¡Hola amigos!

新年早々、「月旅行を予約したり、人気芸能人の女性を恋人にしたりしている通販サイトの経営者」氏の醜いおこないを見てしまった。

そのことを「藤田孝典」氏が痛烈に批判しているので紹介する。

ironna.jp

まあ、この方は「主流秩序の住人」の中でもかなり上位にいる人だし、「自分たちとは別世界に生きている人」なのだから私としては何の感情も抱かないのだが、しかしこれを各種マスコミ屋たちが
「さすが経営者氏、そこにシビれるあこがれるゥ」
と称賛していたのには唖然とした。
特にNHKの「おはよう日本」6時台の「おはBiz」までも…

御多分に漏れず、この企業も多数の「非正規雇用労働者」「派遣労働者」で回っている企業である。
そういう人たちのことを顧みずになにがお年玉だ、と藤田氏は憤っているのである。

それにしても、これでこの経営者氏はツイッターのフォロワー数が世界一になったらしいね。日本一、ではなく。

ああ、これこそ主流秩序の醜さよ!

経営者氏と言えば、過労自殺者まで出した外食企業「ワタミ」の創業者氏が6年前に政権与党の参議院議員になったが、今夏の参議院選挙では6年目で改選の対象なんだな。

次回は選挙、議員について綴る予定。
それではまた。

年も明けて…実は最近綴るネタが無くなった…

こんにちは。

今年もあと残すところ362日となりました。

さて、昨秋から「毒オトナの条件」と題して遅筆ながらいくつかのエピソードを綴ったわけだが、「毒オトナの条件」を綴り終えた今、弊ブログのために綴る「ネタ」が無くなってしまった。

もちろん、「公認されない社会的弱者」に関する問題はまだまだ山積みだし、それらについていろいろ考えねばならないが、最近はツイッターで綴ったり感想などを「引用リツイート」することで事足るようになった。

というわけで、これから弊ブログの更新頻度はぐっと減るかもしれない。
綴りたくなった時に綴るつもりである。

それでは。

毒オトナの条件・第一部最終回「毒オトナに殺されないために。そして毒オトナにならないために」

おはようございます。

今回は「毒オトナの条件」第一部最終回。

「毒オトナ」に殺されないために。そして毒オトナにならないために

本シリーズ連載では、社会的弱者、特に「公認されない社会的弱者」の尊厳を踏みにじる「手口」を紹介し、こういう言動をする人たちのことを「毒親」にちなんで

「毒オトナ」

命名した。

私自身も毒オトナたちのマウンティングや無責任発言にさんざん苦しめられた。
特に「お前はNEETだろ社会の屑だから死ね」と言われたときは本当に「堪えた」。

マウンティングなどの「毒オトナしぐさ」を受けた側は屈辱と自己嫌悪に陥る。
まさに「魂の殺人」といっていい。

一方、私自身も主にマウンティングを中心に「毒オトナしぐさ」をやってしまったことも本シリーズ連載で綴った。

そこで今回は第一部最終回という形で「毒オトナに殺されないために」「毒オトナにならないために」何が大切かを綴りたいと思う。

やっぱり「脱・主流秩序」

以前、こういうことを綴った。

常に「下」の立場に対してだけ向けられ、「上=主流秩序」の立場に対して向けられることは決してない

毒オトナの条件・第7回「トーンポリシング」 - 豚猫大好きぶーにゃんの社会的弱者研究所

 これは「トーンポリシング」について綴ったものだが、「毒オトナしぐさ」の毒牙は常に「下=非・主流秩序」に対して向けられる。

また「年越し派遣村」バッシングを引き合いに出し、「非・主流秩序の側が『自分はあくまで主流秩序の住人だ』ということを確認する(マウンティング)ために非・主流秩序の側を叩く」さまも綴った。

私は言いたい。

やっぱり、「脱・主流秩序」が第一だ。

非・主流秩序の側を侮辱して「自分は主流秩序の側だ」と叫んでみたところで、大金が舞い込むわけでもない。*1
そんなことをしてなんになるのか。
そんなことよりも、「非・主流秩序の側が『生きやすく』なるために」なにか行動をすべきなのではないだろうか。
「非・主流秩序」というのは「殺される側」である。
殺される側を守るべく戦う方が主流秩序=殺す側の住人アピールすることよりも「かっこいい」と思う。

ステレオタイプ・観念論に毒されないために

本シリーズ連載では「ステレオタイプ」についても綴った。

 

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

その中で私はこう綴った。

こういった前提認識=ステレオタイプをもってすれば話題について行けるのはもちろん、他の方もたいていステレオタイプを共有しているので「話が合う」。

そしてこのようなステレオタイプの「生産拠点」は、 テレビや雑誌、新聞などのマスメディア。

毒オトナの条件・第2回「なんでもかんでもステレオタイプ」 - 豚猫大好きぶーにゃんの社会的弱者研究所

 以前、「観念論と唯物論」についてある方の講演を聴講した。
唯物論は「ものごとの『ありのまま』を見る」、観念論は「ものごとを『思い込み』で見る」ことなのだとその方は仰った。

つまり「ステレオタイプ」≒「観念論でものごとを見る」ことと私は思った。

そしてマスメディアこそ「ステレオタイプ≒観念論でものごとを見る」ように促す装置なのではないかと私は思うのだ。
この手のマスメディアに出演している学者、文化人、芸能人etcが「●●は××だ」といえば、それに接触している人たちも「そうか、『●●は××』なのだ」と思ってしまうのではないか。
一個人が「●●は××だ」と言っても聞く耳は持たないだろうが、マスメディアを通すととたんに「何かをわかった」気になり、信じ込んでしまう。

「毒オトナに殺されないため、毒オトナにならないため」にも、できるだけマスメディアの接触は控えたいところである。
「脱・主流秩序」の側に立ち、自分の目でものごとを確かめることを心がけたい。

それにしてもNHK含めどのテレビ局も横並び的に放送するようになった「情報バラエティ番組」は「ステレオタイプ生産拠点」の最たるものだと思う。
「HIKIKOMORI」に対しても牙を向けたし。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

とりあえず最後に。自分のことを受容してくれる仲間を見つけよう

最後にはやはり「自分のことを受容してくれる仲間を見つける」ことを勧めたい。
毒オトナに苛まれている人たちにとって一番難易度が高いものだと思う。
しかし難易度が高い分、うまく巡り合えた場合の「人生の充実感」は相当なものになる。

私の場合は精神保健福祉士の「大佐」や、障害者職業センターのカウンセラーである「中将」がいた。
最近では「共産党」もここに含まれる。

特に共産党生活保護はじめ社会福祉制度を利用する際に同党メンバー(専従職員)を同行させるとお役所職員も聞く耳を持ってくれるという。
ゆえに主流秩序=毒オトナの側にとっては存在自体が面白くない。
逆に言えば非・主流秩序の側にとってみれば心強い味方だといえる。

よく、体罰を受けた人は自身も体罰を振るうと言われる。
これは毒オトナについてもいえるだろう。
毒オトナの中にどっぷり漬かってしまうと自分も毒オトナ的価値観を持ってしまう。
しかし、毒オトナでない=非・主流秩序の側にいれば、自分もまた人にやさしくなれるのではないかと思う。

2018年の弊ブログ更新はここまで。

2019年もよろしくお願いします。

*1:まあ、ブログなどをやっているとアクセス数(PV数)は多少上がるかもしれない。

毒オトナの条件・第11回「毒オトナのモデルケース~浪速のドナルド・トランプ」

こんにちは。最近寒いですね…

さて、今回は毒オトナの条件第11回。
今回は「これが『毒オトナ』だ」というモデルケースを紹介する。

毒オトナのモデルケース~浪速のドナルド・トランプ

今回、「モデルケース」に出てもらうのは「浪速のドナルド・トランプ」とでもいうべき方である。
いや、当の「ドナルド・トランプ」本人よりも政治家としてのキャリアは長いのだから「のちのドナルド・トランプである」というべきか。

当時高校生だった人に放った暴言から見る「毒オトナの条件」

lite-ra.com

3年前の記事であるがこちらの記事を見てほしい。
当時、ある高校生が「浪速のドナルド・トランプ」に「私学助成の拡充」を訴えたが、氏はとにかく暴言を浴びせかけ、ついには泣かせてしまった。

当時、屈辱の涙を流した高校生が「あの時」を振り返る、という記事なのであるが、とにかくここから「浪速のドナルド・トランプ」氏の「毒オトナの条件」が見えてくるのである。

「訴えへの遮り」と「『私は努力して主流秩序に順応した』アピール」

記事では、「浪速のドナルド・トランプ」氏はこんなことを言い放ったという。

「いじめられた時になんで転校しなかったんですか?  転校すればよかったじゃないですか」

 

「高校は訓練の場です。社会に出るまでの通過点でしかないんだから、そんな訴えには意味がない」

 

明らかに高校生たちの訴えに対して「遮る」言動をとっている。
真摯に聞こうとしていないのだから。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

ほかにも、高校生たちに対する「虐待」が続くのであるが、その理由を記事に出た当時高校生だった人はこう分析する。

(引用者注・「浪速のドナルド・トランプ」氏は)自分が(母子家庭という)しんどい環境から公立の進学校に入り、弁護士になったという自信があるせいでしょう、困っている人に対してすごく厳しい。貧困家庭に生まれたのも、勉強してそこから抜け出せないのも自己責任だという考え方です。 

これなんか、まさに本シリーズ連載第6回で綴ったことだわな。
「『私は努力して主流秩序に順応した』アピール」そのもの。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

毒オトナから拍手喝采

この、「浪速のドナルド・トランプ」氏が高校生たちに対しておこなった仕打ちは世の「毒オトナ」たちから拍手喝采を浴びる。
そして高校生たちに対して「プロ市民」「共産党の手先」などというレッテルを貼り付けた。

むろん、毒オトナの一人である私の父親も「浪速のドナルド・トランプ」氏を絶賛していた。
当時「HIKIKOMORI」だった私へのマウンティングだった。

毒オトナ好みの政党も設立

そして「浪速のドナルド・トランプ」氏は毒オトナ好みの「浪速のトランピズム政党」というべきものを設立。同党所属の政治家たちもまた毒オトナ好みの言動をすることで有名になった。

記事が掲載された3年前はちょうど大阪府知事大阪市長の改選期だったが、記事に出た元高校生氏の願いもかなわず「浪速のトランピズム」は現在も大阪を支配している。*1

毒オトナがいる限り、「浪速のトランピズム」は永久に不滅です

現在は「自称一般人」として、テレビやメールマガジン等で毒オトナ好みの言動を続けている「浪速のドナルド・トランプ」氏。
なんだか国政進出もうわさされているが、まあ彼なら国政にも難なく立てるだろう。
彼の後ろには何万人もの「毒オトナ」たちがいるのだから。

毒オトナがいる限り、「浪速のドナルド・トランプ」、そして「浪速のトランピズム」は永久に不滅です!!

なにせ、「浪速のトランピズム」はアメリカ、フィリピン、ブラジルなど世界各地に波及しているのだからね…

なお、「浪速のドナルド・トランプ」については産経新聞が10年前に氏を取材した「橋下徹研究」を読むことをお勧めする。
産経新聞10年に一度のいい仕事をやってる。

それでは。次回は第一部最終回です。

*1:大阪府知事大阪市長だけでなく、地元選出の国会議員も「浪速のトランピズム政党」は政権与党とともに当選している。

毒オトナの条件・第10回「『やればできる』は地獄の合言葉」

おはようございます。

本当に今年になってブログの更新自体がおっくうになった。
春から夏にかけては長期休止もしたし…

今回は毒オトナの条件第10回。

「やればできる」は地獄の合言葉

「『やればできる』は 魔法の合言葉」

愛媛県「プロ部活」が盛んなある私立高校の校歌の一節である。*1

しかし、この「やればできる」という言葉、なんでもかんでも使っていると当人を傷つける危険性を孕んでいる。

才能ある人間が高みを目指すためにしか使ってはならない

そもそも「やればできる」という言葉は、
「もともと才能を持った人間が、その才能をフルに発揮させ、高みを目指す」
「70%の達成率にいる人間に、あと一押しをさせる」

ためにこそ使われるべき言葉なのではないかと思う。

世の中には、「何をやらせても平凡以下」「何をやらせてもうまくいかない」人間が無数に存在する。
そういう人たちに、「あんたはやればできるんだから」と周りの毒オトナたちから言われても、「本当にやればできるの?全然できないんだけど。それよりも『比較的苦痛なくできること』を見出すべきなのでは?」と私は思うのだが…

私も、「やればできる」と尻を叩かれ苦難を強いられた

先月、NHKEテレで、とても良質なドキュメンタリー番組が放送されていた。

www4.nhk.or.jpこの番組はとてもよかった。
自閉症発達障害)持ちのオレグ青年が、「毒オトナ」の母親からひたすら
「頑張ればできる」
「あんたは怠けているだけ」
などとひたすら尻を叩かれていた。*2

前々回、「NHK発達障害キャンペーンに『伝説のクリーチャー』を並べても嫌味なだけ。発達障害当事者のほとんどは『伝説のクリーチャー』のような立場にはないから」と綴ったが、まさにこのオレグ青年が親や周りから「無知・無理解に基づく仕打ち」で虐げられているような状況が、発達障害当事者の多数の実態だと思う。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

私自身もまた、このオレグ青年と同じ状況にあった。
親はもちろん、周りの毒オトナたちから「松岡修造責め」を浴びせかけられていた。
その状況で、私は「適性のない仕事」に就いては短期でやめることを繰り返し、しまいには「HIKIKOMORI」になってしまった。

「やればできる」などといって、「無理なことを」「無理やり」させていませんか?毒オトナの皆さん

このように、「やればできる」という言葉は当人、特に発達障害など「社会(主流秩序)に適応できない特性を持った人」を大いに苦しめる言葉になってしまっている。

繰り返しになるが、世の中には「どんなに『やればできる』と発破をかけても」「それをうけてどんなに当人が『努力』をしていても」全然無理な(できても平凡以下の結果に終わる)ことが多数存在する。

そういうことを信じたくない「毒オトナ」たちが、「やればできる」「努力すればできるようになる」などとウソを並べて当人を苦しめている。

本当に、毒オトナたちは残酷な存在だ…

次回に続きます。

*1:正確には当該学校法人の「学園歌」。ゆえに高校だけでなく中学校でも歌われる。

*2:実際に平手打ちまでしていた…

毒オトナの条件・第9回「『選ばなければ仕事はあるはず』と無責任発言」

こんにちは。¡Hola amigos!

もう12月に入ったねえ。
今月中にはこのシリーズ連載も終わる予定。

第9回「『選ばなければ仕事はあるはず』と無責任発言」

これも私自身、周りの毒オトナたちから浴びせかけられた文言だ。
2000年代就職氷河期において就職活動をしていた時などに浴びせかけられた。

「お前が仕事にありつけないのは職種等を選り好みしているからだ。そういう『選り好み』せずに、『何でもやります』の意気で就活をせんかい!」ということらしい。

しかし、よく考えたら「何でもやります」というのは就職先に対して実に失礼な言葉だと思う。
就職先の側は「○×ができる人」と、ある特定の技能などを持った人を求めているはず。
そこに「何でもできます、何でもやります!」と求職者側が言ったところで就職先としては「???」だろう。

「就職できない人を見下す」マウンティング

「選ばなければ仕事はあるはず」…
これもまた、「就職できない人を見下し、馬鹿にする」=「マウンティング」の一種だと考えていいだろう。
こういう「毒オトナのマウンティング発言」を真に受けてしまうと、求職者側にとって最悪の事態に陥ってしまう。

私自身のように…

「何でもやります」と言ったところで、適性が合致していないと仕事もままならない

私自身、「選ばなければ仕事はある」を真に受け、いろいろな仕事をしたが、いずれも1年経たずに辞めてしまった。

辞めてしまった原因は、ひとえに「適性がなかった」から。

うちの地元近辺では、「小売業」「飲食業」など、いわゆる「接客業」の求人が多かったが、残念ながら私にはこれら「接客業」に対する「適性」がなかった。

「適性のなさ」に気付くまでに10年以上かかった。

そのときに気付いたんだなあ、「選ばなければ仕事はあるはず」という言葉は、

  • 「仕事に適応できない人」に対する呪詛であり、
  • 「就職できない人」に対するマウンティングの言葉だと。

その後ようやく、私の適性について考えた末に就職した現在の職場にありつけ、現在4年が経過した。

適性と職種を照らし合わせ、仕事を「選り好み」しよう!

やはり、職探しをする際は、自分の適性をよく考え、それを職種と照らし合わせて「選り好み」することはとても重要だと思う。

それだけでなく、「自分の適性に合った職種」の職場見学も重要だと思う。

私の場合、見学だけでなく職場の「インターン」もさせてもらった。
そこで「あ、これは自分にも定着できる仕事だ」と思ったがゆえに正式就職した。

それにしても、毒オトナたちは本当に無責任だよなあ…

それではまた次回。

毒オトナの条件・第8回「マウンティング企画と化したNHKの発達障害企画」

こんばんは。¡Buenas noches!

昨年から始まったNHK発達障害特集企画「発達障害プロジェクト」が、最近「発達障害って何だろう」に変貌した。

www.nhk.or.jp

しかし、今回の企画には、残念ながら私は「悪臭」を感じ取ってしまった。
今回は「毒オトナの条件」の第8回として、このことを綴る。

第8回「マウンティング企画と化したNHK発達障害企画」

今回も、様々な番組やウェブサイト企画等で発達障害についていろいろ紹介するキャンペーン企画なのであるが、今回はずいぶんと「伝説のクリーチャー*1」どもが湧いて出ている。

などなど…

「伝説のクリーチャー」のカミングアウトに、「マウンティング臭」を感じる

こうした「伝説のクリーチャー」たちの「私は実は発達障害持ちでした」というカミングアウトに、私は励まされる以前に「マウンティング臭」を感じてしまう。

なぜなら、彼ら彼女らは「カミングアウトしても叩かれない、あるいは周りから自分の立場を受け入れてもらえる」立場にいるからだ。

こういう存在は逆に「真の発達障害持ちの姿」を見えにくくさせてしまうように私は思う。
そのうえ、「発達障害持ちでもこんな立派な『伝説のクリーチャー』たちがいるのになんであんたは『伝説』になれないの?」と周りから虐げられる危険性すらある。

「真の発達障害持ち」…それは周りの「無知・無理解」に苛まされている

たとえば「栗原類」氏はこの間の「きょうの健康」でも放送されていたが、母親がものすごく栗原氏自身のことを理解し、支援してきたという。
こんな例ははっきり言って「稀」である。

私もそれに含まれるが、「真の発達障害持ち」というものは、逆に親や周りの人たちから「無知・無理解」をぶつけられるのが普通だ。

「自分ハ発達障害ユエニナカナカウマイコトイカナイ」と言っても、「それはお前が甘えているだけだ」「病気のせいにするな」などという言葉をぶつけられる。

まさに本シリーズ連載のテーマ「毒オトナ」のしぐさではないか。

こういう企画は「毒オトナ」を増長させる

そういう「毒オトナ」たちが、こういう企画に接触したらそれこそ繰り返しになるが「こんな伝説のクリーチャーがいるのになんでお前は『伝説のクリーチャー』になれないの?」と当事者に対し叩いてくるだろうことは容易に想像できる。

今回、「発達障害って何だろう」企画では意見も募集しているようなので、早速このことをNHKに対しても綴ろうと思う。

それではまた次回。

*1:マジック:ザ・ギャザリング」というトレカゲームにおける兵隊カード(=クリーチャー)の中で、物語の中心人物等に与えられる特別な称号を持つ兵隊カード。たいていは高スペックのステータスと特殊能力を持ち、また同名カードを場には1枚しか配置できない特殊ルールがある。