ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

私と発達障害③中高生のころ

おはようございます。
今回かなり長くなるので折りたたみます。
目次作りました。

まず、この間紹介した番組について

まず、この間紹介した「感動ポルノドキュメンタリー」についての追記。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

 この番組で、もう一つ思い出したことがある。

それは、この番組のナレーションをしていたのが、
篠原ともえ
だったことだ。

「え、彼女まだ芸能界で生きてたの?」と思ったね。
90年代から2000年代にかけて「のちの『きゃりーぱみゅぱみゅ』氏」を思わせる芸風で活躍していたけど最近は結婚・子育てをなさるようになりめっきり見なくなったものだ。

芸能界だけではない。
マルチタレントとしてファッションデザイナーとしても活躍。
今年4月からの「歴史秘話ヒストリア」のパーソナリティの衣装デザインまでなさっている。
これは葛西紀明級のレジェンドやでえ。

ここから本題。私と発達障害③中高生のころ

中学時代もやはり奇行は目立っていた。
さすがに暴れたり…ということはなかったようだが、無言で授業を抜ける、といったことはやっていたようだ。

高校に入ると学校生活に耐えられなくなり、登校拒否をするようになった。
学校に行く振りをして、学校には行かず電車に乗り過ごした振りをしてみたり、どこかをほっつき歩いていた。
このとき、「自分には集団生活自体が駄目なのだ」ということがもう少し理解できていれば、この問題にも的確な対処ができていたと思う。

高校生活は、「大学に行って政治経済を勉強したい」という気持ちが湧いてきたとき、復帰することができた。
目標ができると、人間は頑張れるということも分かったのは幸いだと思う。
ただ、嫌な先生や生徒もいたので、けっこう保健室登校をしていた。

その時に、進級するのに成績が危うい*1と、特に英語で補習課題が設けられたが、その内容は「参考書に書かれている単語・熟語をすべて書き取れ」というものだった。
きつい内容ではあったが、意外と苦にはならなかった。
一つの物事に集中するとものすごい効果を発揮する、というものの一つだったのかもしれない。
これが大学入試に一発合格する力になったことは言うまでもないだろう。

このときから数年後、不登校保健室登校がメディアでクローズアップされるが、なんだか自分が先駆者みたいに感じていたことは内緒だ。

*1:実際留年も一度している。