ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

私と発達障害⑥就活に敗れて…

こんばんは。
この間のバリバラ、ご覧になっただろうか。
まさにタイムリーな「発達障害当事者の就労」についてだった。

www6.nhk.or.jp

自身も発達障害当事者*1のタレント・栗原類氏も出演していた。
また、この番組の感想について後日綴る。

私と発達障害⑥就活に敗れて…

大学時代、私が勉強と本の虫になっていたことは前回綴った。
しかし、人間関係になるとここでもやはりトラブルは多かった。
特に私はたばこ(およびたばこを吸われる方)に嫌悪感を抱き、そのことでいろいろいざこざを起こしていたようだ。
今思えば、「なぜたばこがやめられないのか」というメカニズムを理解していなかったゆえの過ちだった。

やはり就活は駄目だった

大学も最終学年の西暦2000年、私は就職活動をしていた。
しかし、とにかく会社を回るだけに終始していたため、成果を上げることができなかった。

このころの就職市場は空前の「買い手市場」。
熱意ややる気をアピールするだけでは採用されず、「結果を残せる」人材を企業は求めるようになっていた。

そういえばこのころだっけ。
「結果」=「成果」という意味で用いられるようになり、「結果が出ない」「結果を出せた」と主にスポーツ界で使われるようになったのは。*2

そして、ついに就職先が見つけられないまま、21世紀最初の年、西暦2001年に私は大学を卒業してしまった。

アルバイト(非正規雇用)はやってみるものの…

無論、卒業後はアルバイトを転々とした。
そこで、自分の発達障害特性にまた気づかされる。

それは、ファストフード店での仕事が全くできなかったこと。
お客様に急かされ、チーフや同僚店員にどやされ、とても仕事にならず数日でやめてしまった。

「高校生でも務まる仕事が、自分にはできないのか…」

無論、自分の適性に合っていた仕事もあった。
郵便局の年末年始アルバイトだった。
郵便物を黙々と郵便番号別に分ける作業はやっていて(こんなことを言うのは何だが)楽しかった。

そして…2001年の秋

ある日、親からテレビを急いで見てと言われた。

テレビの電源をつけると、ニューヨークの高層ビルが黒煙を吐いている様子が映し出されていた。

ニューヨーク同時多発テロ事件。

後にこう呼ばれるようになった、旅客機が高層ビルなどに突っ込む現代最悪の事件。

遠い国の大惨事だが、自分の将来への不安となぜか重なって見えた。

次回に続きます。

*1:注意欠如障害(ADD)持ちとのこと。

*2:このころ、永六輔氏がある雑誌のコラムで「よく『結果が出ない』と言ってるけれど、結果は出ているんだよ…悪い結果が!」とぼやいていたのを覚えている。