ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

私と発達障害㉑地域活動支援センターから就労支援施設へ

こんばんは。

大変申し訳ない。
また1週間更新が滞ってしまった…

先週は足の指が化膿して手術を受けてしばらく静養していたのだ。
幸い3日程度で回復はしたが…

私と発達障害㉑地域活動支援センターから就労支援施設へ

大佐にサポートされて、徐々に生きる自信を取り戻していった少尉こと私。

しかし、このころには私以外のたくさんの「クライアント」が大佐のもとに集まっていた。
大佐が私のことにあまり時間が割けるような状態ではなくなっていたのだ。

ただ、この「クライアント」の中にも私と気の合う人は数人いた。
特に2人の女性クライアントは現在もLINEでメッセージのやり取りをしている。

そろそろ就労支援へ…

大佐との面談(カウンセリング)は毎週火曜日の1回のみとなった。
それ以外は自由な活動をしていた。

私は五目並べやゲームソフトで覚えた花札「こいこい」をセンターの参加者・職員たちに教えた。
また、ミシンでタオルを縫って簡単な巾着袋を作ったりもした。
簡単な革細工も作ったっけ。財布を。
銘と糸を縫い付けるための「目」を打つのが緊張した。失敗したらやり直せないから。

これらは結構楽しかった。
自分に自信を取り戻すための大事な過程であったと認識している。

その間も、私は仕事探しをしていた。*1

「ソロソロ就労支援ノタメニ『障害者職業センター』ニ行ッタホウガイイカ」私はそう考えるようになった。

そのとき、私の両親が「就労支援施設B型」なる施設を知り合いが運営しているという話をしてきた。

就労支援施設B型? 

その知り合いの女性は、私が幼いころ、療育施設にいたころから知っているのだという。
彼女も、知的障害を抱えた息子さんがいて、イベントなどでは一緒だったという。

全然覚えていないのだが…

彼女は、「私の施設は就労のための支援だけでなく、内職や農場活動もしている」とおっしゃった。
そして、「私のところにも、ジョブコーチのような存在がいるのよ」と。

せっかく両親がおぜん立てしてくれているし、今まで両親にご迷惑をおかけしたこともあり、今回は両親の提案に従うことにした。

今思えば、思いっきり遠回りでしかない結果となったが…

次回に続きます。

*1:そして仕事探しの帰りにアミューズメントホールで「三国志大戦」をやりこんでいた…今考えれば私の一番苦手なマルチタスクを必要とする「リアルタイムストラテジー」だ…