ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

絆(大爆笑 DIE BACK SHOW)

おはようございます。

ダイヤモンドオンラインのコラム「引きこもりするオトナたち」が更新された。

diamond.jp

また、HIKIKOMORIによる殺人事件だ…

で、殺人に至る動機が、(こんなことを言ってはいかんのだが)面白すぎる。
以下に引用。

被告人と弁護人の会話で…

被告人「100円ショップで買った観葉植物が少し枯れている。“ちゃんと水やらなきゃダメじゃないか”“この観葉植物は、父と子の絆なんだ”と言われました」

弁護人「以前から、絆と言われていたのか?」

被告人「その日に初めて、勝手に決め付けられました」

弁護人「観葉植物を枯らしたことをお父さんに謝りましたか?」

被告人「何度も謝りましたが、許してくれなかった」

絆!!!!!!!!!
しかも勝手に押し付け!!!

私は思わず大爆笑した。
すみません、本当に私も同じ状況なら父親を殺していたと思いますわ。

こういうのを「ありがた迷惑」というのよね。
うちの父親もそうだが、「これなら子供も喜ぶだろう」と、当の子供の意見も聞かずに勝手にことを進めるのだから困る。

再び引用、被告人は言う。

「取り返しのつかないことをしてしまったという後悔の念とともに、複雑な気持ちがある。父が100円ショップの観葉植物を枯らしてしまったことを“父と僕の絆”だとしつこく責めてきた。たかだか100円の観葉植物が枯れたくらいで壊れる絆なんて、最初から存在しないという思いがある。絆って言うのなら、昼から夜中まで飲んでないで、ちゃんと話し合う時間をつくってほしかった」

昼間から酒を飲みまくるような父親に、尊敬の念を抱くことなどできるはずがない。
そんな父親からいくら美辞麗句を並べられようが聞き入れられるはずがない。

ぜひ、引用記事を全文読んでほしいのだが、被告人にとって家族という存在が「逃れられない恐怖」になってしまっていたようだ。

こんな状況で何が「絆」だろうか。

2011年、東日本大震災が起きた年。
この年に選ばれた「今年の漢字1字」は「絆」だった。
「間違いなく『震』『災』だろう」と思われていた予想を裏切る、まさに「現実逃避願望の表れ」というべき現象だった。*1

現実逃避といえば、私の父親もよく言うんだよね。
「社会問題を考えるよりも、もっと楽しいことを考えろ」

なんで父親という存在はいつもこんなんだろう。

(追伸)
以前紹介したハートネットTVの酒井若菜氏のエピソード、年末22日にアンコール放送されます。
弊ブログの方向性を決定づけるきっかけとなった番組です。ぜひご覧ください。

*1:ちなみに「震」「災」はそれぞれ3位、2位だった。