ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

努力と運と縁。

こんにちは。

昨日、しばらく会っていなかった友人と久々に会食した。
最近十二指腸潰瘍に悩まされていたようだった…
最近は色々多忙だったらしい。
会食後、ショッピングセンターで「もっと服装、ファッションに気を使った方がいいと思うよ」と言われた。
よし、これを年明けからの課題にしよう。
どうせやるなら心斎橋あたりまで行って実行しよう。

さて、今回は努力について綴る。

「努力は裏切らない」は本当か

よく、何らかの世界で成功した人が、「大切なのは努力だ」「成功できていない人は、努力が足りない」と仰る。
例えば、ソフトボールの日本代表監督だった宇津木妙子*1は、「努力は裏切らない」と常々仰っていた。

私は「半分はその通りだろう」と思いつつ、「半分は嘘だな」と思っている。
「裏切らない努力」には、ある条件が必要だからだ。

条件①その「努力」が、「社会からの要請」に合致していること

この場合、「社会」というのは「(主に)企業」と言い換えてもいいかと思う。
たとえどんなに努力して、何かスキルや資格を得たとしても、それが「社会からの要請=ニーズ」に合致していないと、それらは文字通り「宝の持ち腐れ」であろう。

これはちょうど「株式投資」に近い賭けといえる。
一体どんな業界の、どんな銘柄が当たるのか。そんな感覚。

最近は外国人観光客が増えていることから「外国語会話」が注目され、スキル保持者のニーズが高まっているが、これもまた数年後、ニーズがどう変わるかわからない。

条件②その「努力」が、「周りから注目」され、「認められる」こと

①にも言えることだが、「努力」というものは周りから認めてもらわなくては意味がないと私は思っている。

以前の記事にも綴ったが、私が現在の仕事を長続きできている理由は「自分の仕事ぶりが『メンター』はじめ、周りの社員から認められている」からである。

あの「シビれる」HIKIKOMORI当事者、二条淳也師匠のブログを紹介する。

陰の努力。 | 高齢ひきこもり

一部引用。

陰の努力を誰かに見てほしい。もしかしたら、これは人として当然の感情かもしれない。陰で自分なりの努力を続けたけど、誰もそれを知らず、なんの評価もされなかったとしたら、その努力をやめてしまう人はとても多いのではないか。

この部分、私にはよくわかる。
努力したところで、周りの誰かから認めてもらわなくては何の意味もないと思う。
この辺で、「努力は裏切られる可能性がある」と私は考えるんだなあ。

まとめ:「運」と「縁」がないと、努力は平然と裏切ってくる

いろいろ御託を並べたが、ぶっちゃけ条件①は「運」、条件②は「縁」の一言で片づけられる。
そして自分の努力がこの二つを伴わないと、努力は平然と自分を裏切る。

私が就職活動でさんざん「お祈り」されたとき、精神保健福祉士の「大佐」はこう仰った。

「所詮、この世は『運』と『縁』だよ」

ただ、この「運」「縁」を呼び寄せる(つまり努力に裏切られない)ためにも、「努力」というのは欠かせないんだよなあ。
「大佐」はこう続けた。

「その『縁』に巡り合う為にも、心が折れることなく活動を続けなければならない」

こう考えると、やはり「努力は裏切らない」といえるのかなあ…
うーん、深い!

しかし、二条淳也師匠、いつ「反撃。」に転じるんだろう…
まあ、「運」と「縁」を呼び寄せることを自ら放棄しているからなあ。たぶんあと3年くらいはないのではなかろうか。

それでは。