おはようございます。Buenos Dias!!
「舞姫青葉の友」のパンなどを地域住民すら買わず、ほとんど利用者の親御さんばかりが買っていることについて、私は大学時代に学んだ「ジュース屋とアイスクリーム屋の笑い話」を思い出した。
「経済原論」という、「マルクス経済学」を学ぶ授業で教えてもらったものだ。
あるところに、ジュース屋とアイスクリーム屋が隣り合って営業していました。
いずれも100円で売っていました。
ジュース屋が言いました。「暑いからアイスクリームをくれ」
今度はアイスクリーム屋が言いました。「のどが渇いたからジュースをくれ」
そうこうしているうちにジュースもアイスクリームも売り切れました。
しかし、売り切れているにもかかわらず儲かりませんでした。
お互いの間で100円が往復しているだけだったから。
この話は「いかにたくさんの人に売ることが重要なのか」を教えてくれる。
親御さんしか買わないということは、「間接的な『自爆営業』」といえる。
「舞姫青葉の友」入所当時は「障害者自立支援法」で、「毎月の利用料が徴収」されていたのだから。
第6話 何もすることがない
「舞姫青葉の友」に入所してから数カ月が経過した。
何もすることがなくなっていた。
古いパソコンや、家から持ち込んだニンテンドーDSで暇つぶしするくらいしかなくなっていた。
ある日、贈答用のタオル詰め合わせを作成する内職の提案があった。
例によって私には難なくこなせる仕事だった。
しかし、この作業には「化粧箱を組み立てる」という工程もあり、重度知的障害者のひとにはきついだろうということで、却下された。
農場の作業にも参加
何もすることがないと言って腐っていても仕方がない。
私は農場での作業にも参加することにした。
農場での作業も、内職ほどではないにせよ楽しかった。
草むしりが一番楽しかったなあ。
これもまた「ひとりで無心にできる作業」だった。
ただ、「仕切り屋」がストレスだった
ただ、内職にせよ農場作業にせよ、「利用者内の仕切り屋」が私にとってストレスだった。
その人は「舞姫青葉の友」最古参の利用者であり、各種作業において他の利用者にいろいろ注文をし、時には叱責をする人だった。
こういう人間が私はどうしても苦手だ。
これまた屈辱だらけの学校生活を思い出すからだ。
結局、「舞姫青葉の友」になじむことはできなかった。
個々の作業ではやりがいもあったが、全体的にはやはり「馬が合わなかった」。
そして「二●リ」へ…
その後、「舞姫青葉の友」専属のジョブコーチ支援の下で「二●リ」に入社したことは、連載「私と発達障害」で綴った通りだ。
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次回は、感動の?最終話です。