ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

潜入・大人の幼稚園最終話 今思えば、「社会貢献」にこだわり過ぎていたなあ

おはようございます。鼻風邪ひきかけてます…

さて、短期集中連載「潜入・大人の幼稚園」は今回が最終話。
「大人の幼稚園」という言葉を使ったのは、自分が「舞姫青葉の友」をこの言葉を使って見下していたことへの反省と謝罪を込めてのものである。

発達障害板」という掲示板サイトにこういう書き込みがあったのもあえてこの言葉を用いるきっかけだった。

>>20
2chのメンヘラ板の小規模作業所スレでは大人の幼稚園と言われていますからね。
掲示板に書き込める人は絶対に嫌な思いをするのは間違いないでしょう。

あくまで訓練だから朝礼があったり、順番で掃除や食事の準備があったり、
作業所のイベントで販売とか、ただ行って作業をして帰るという
訳にはいかないと思います。

それと基礎年金を貰っている人が稼いだら、年金が支給停止になるかもしれないし、
実際、ある新聞の記事で軽度知的障害者の人が月25000円を稼いだだけで、
基礎年金2級を打ち切られたという記事があったし、

うちの親戚で、統失で基礎年金2級を受給している人がいるけど、
作業所には行かないで家に閉じこもっています。
その方が精神的に安定しているみたいです。

( 【高卒】低学歴のアスペルガー症候群【中卒】 より)

最終話 今思えば、「社会貢献」にこだわり過ぎていたなあ

舞姫青葉の友」を去ってから5年以上が過ぎた。

はっきり言って、自分にとっては「無駄」でしかなかった。

いや、多少は「収穫」もあったかもしれないが…
少なくとも一人で黙々と作業することが得意ということを再確認することはできたから。

「大人の幼稚園」などと、いろいろ言ってきたが、以前紹介した「バリバラ」という番組で、ゲストの方が「いいんですよ社会貢献などできなくても」と発言されていたことに、私は「ハッ」とさせられた。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

 「社会貢献=お金を稼ぐこと、売上を上げること」に自分はこだわり過ぎていた。
利用者の中には「排泄することすらままならない重度知的障害者」もいるのだ。

過去のエピソードから考えてみよう。

  • 地元住民や登下校児童・生徒に買ってもらうことをしようとしないパン・洋菓子部門。
    これは逆に考えれば、利用メンバーの「作業許容量」を考慮しているといえる。必要以上にお客様を増やしてしまったら作業量が増え、「作業許容量」が爆発してしまう。
    最近起きたドミノピザの事件がまさにそうだ。
  • 内職を簡単な作業しか請け負わない件。
    これも、重度知的障害者がメンバーにいることを考えれば妥当だ。
    「簡単な作業」でも、当事者たちにとっては「重労働」だ。
    たとえば私だったら3秒でできる商品を詰める作業を、3分かけてようやくできる。
    それだっていいじゃないか。
    自分たちも商品生産に一役買っているのだから。
    いくら工賃がたくさん得られるからといって、複雑で繊細な作業を要する案件を受けてしまったら、重度知的障害者たちは困るだろう。

私は「主流秩序」に囚われていた

当時の私はバイト先で「どんくさい」等と罵られていた。
自分に自信を持てなかった。

舞姫青葉の友」での作業を「俺にこんなことをさせるのか。まるで自分が幼稚園児みたいじゃないか。お金にならないことばかりやりやがって」と、やさぐれた目で見ていた。

それはすなわち、イダヒロユキ師匠のいう「『主流秩序』への囚われ」に他ならなかった。

私は安定して就労できることを目指していた。
一刻も早く。
「自分は『飯を食えないオトナ』ではない」と言い聞かせていた。

それゆえにあんな態度をとっていたんだと思う。

障がい者=訓練すれば人並みに仕事ができる」わけではない

「就労支援施設A型」で働く私の友人は、今月の食事会で、「障害者文化祭」のポスターを作成したが却下されたと愚痴を漏らした。

その友人の所属事務所が作成したポスターは、前回の文化祭の一場面を全面に写し、その中にイベントの開催日時などを入力する本格的なもの。
まるで、コンサートイベントのポスターみたいだった。

しかし結局選ばれたのは、別の就労支援施設が作成した、Word文書に画像を挟んだだけのものだった。

「なんでこんな『チンケ』なポスターが選ばれるのか理解に苦しむ」友人は憤慨していた。

しかし、先述した事情を考えれば、「チンケ」なポスターが採用されるのもある程度理解できる。
障がい者のみんながみんな、本格的なポスターが作成できる技術を持ち合わせているわけがないし、またそういう技術を身に着けるのも困難な人もたくさんいる。

友人の事務所が作るようなポスターばかりが採用されると、「世の中の障がい者は頑張れば高等技術もこなせられる。何もできないとは言えないはずだ」という風潮が作られてしまう恐れがある。
それこそ「社会貢献できないやつは死ぬしかない」というやつだ。

「社会貢献」ができなくとも、社会の片隅で生きていく権利があっていいではないか。
舞姫青葉の友は、まさにそうする権利を求める場所ではないかと、私は思うようになった。

最後に

以上、私が体験した「就労支援施設B型=舞姫青葉の友」について綴った。

最後にああ綴ったけれど、やっぱり自分にとってはここはやや遠回りだったかなあと思う。
しかし、「急がば回れ」ということわざもある。
それにパソコン作業や内職など、「ためになった」こともある。
少なくとも人生の糧にはなっていると思う。

さて、2016年も今日までだな。
でも1日1日がいつものように過行くだけだ。
私は今日も明日も、1日1日を生きるだけ。

今日はスペイン語の番組ぶっ通しで見るでえ。