ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

たとえ重度の障がい者でも、「働く・社会の役に立つ喜び」は知っている。

おはようございます。Buenos Dias!!

今朝、ツイッタータイムラインを見ていたら、こんな記事が紹介されていた。

toyokeizai.net

学校黒板用チョーク製造最大手、「日本理化学工業」の話。

なんと、社員80人中、60人が知的障害者
記事によると「重度」が半数近くを占めるんだとか。

その中でも、「働く・社会の役に立つ喜び」について語っているエピソードが印象的だった。
少し長いが、紹介記事より引用。

「うちの工場では知的障害者が一生懸命に仕事に取り組んでいます。施設に入って面倒を見てもらえば、今よりずっと楽に暮らせるのに、なぜ彼女たちは毎日工場へ働きに来るのでしょうか」

すると住職はこう答えました。

「人間の究極の幸せは4つあります。1つ目は、人に愛されること。2つ目は、人に褒められること。3つ目は、人の役に立つこと。4つ目は、人に必要とされること。だから障害者の方たちは、施設で大事に保護されるより、企業で働きたいと考えるのです」

その瞬間、私は自分の考えが根本的に間違っていたことに気づきました。人は仕事をして褒められ、人の役に立ち、必要とされるから幸せを感じることができる。仲間に必要とされれば、周囲と愛し愛される関係も築くことができる。だから、彼女たちはあんなに必死になって働こうとするのだと。

(太字強調は引用者)

まったくだ。
人の役に立つ、社会の役に立つ喜びを感じることができれば、たとえ重度知的障害者でも、そしてHIKIKOMORIなど「社会不適応当事者」も、長く働けるようになるのだ。

記事はこのように続いている。

私は日ごろから従業員たちに、「今日もよく頑張ったね、ありがとう」と声を掛けていましたが、私にとっては、単なるあいさつにすぎませんでした。でも、知的障害者の人たちは、心からうれしそうな顔をするのです。健常者がごく当たり前だと思っていたことの中に、人間の究極の幸せが存在する。そのことに私自身が気づかされました。

(太字強調は引用者)

まさに、これは自分が現在の職場で感じていることそのものだ。
課長や主任、そして周りの従業員たちから「お、頑張っているなあ」「いつもありがとう、ご苦労様」と声をかけてもらえると、本当にうれしいものだ。
今まで数カ月も持たなかった就労も現在の職場では2年以上続いている。

それではまた。
職場の仕事始めは明後日5日からです。