ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

「トリクルダウン」とはとどのつまり「雇用創出」のことではないのか。

こんばんは。

今日は私がふと思ったことを綴る。

よく、経済学で「トリクルダウン」という言葉が使われる。
富裕層が経済活動、主に消費をすることで、経済的に苦しい層にも恩恵が得られる」という意味だ。

昨今の経済格差問題から、「トリクルダウン」は否定されつつある。

しかし、一つだけ「トリクルダウン」が当てはまる事項がある。

それは「雇用の創出」だ。

富裕層の中でも、ビジネスの才覚にあふれた人が事業を興す。
あるいは才覚にあふれた人が巨万の富を得る。

事業を永続したいと考える。
そうすると人を雇う必要がある。
そうすることで経営者は事業の永続、そして更に事業を巨大化させることに専念できるからだ。
アダム・スミス以来言われている「分業」である。
分業を進めれば、富もなく、技術も才覚もない人も「社会貢献」ができるのだ。

先ほど「トリクルダウン」は否定されつつあると綴ったが、それは昨今の富裕層の事業拡大が、雇用創出を伴っていないからではないか。

私が大学時代、就職活動をしていたころだ。
すでに「就職氷河期」という言葉がさんざんに言われていた。
そして、「雇われないのであれば自分で事業を興せばいいじゃない」と、「マリー・アントワネットが発言したとされている言葉」をほうふつとさせるような言葉も盛んに喧伝された。

しかし考えてもらいたい。
事業を興すには「富と才覚」が不可欠である。
この世に生きる人のすべてがそういうものを持ち合わせているとお思いだろうか。

だから、トリクルダウンは否定されつつあるのだ。雇用創出ができなければ、そこから新たな才能も開花しないだろうし、経済が発展しないから。

支離滅裂で申し訳ないが、これが私の「トリクルダウン」考である。

それではまた。