ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

発達障害についても、「間引き」を推奨する声が聞こえる。いい加減にしろ。

こんばんは。

更新が遅れて申し訳ない…

さて、前回の続き。
前回は「ダウン症出生前診断」について綴ったが、発達障害についても、同じようなことを主張する声が聞こえる。

主に、「年の差婚夫婦は子供を作るな!」という声である。*1

たしかに、「年の差婚夫婦」からは発達障害持ちが生まれる可能性は高いと言われる。
しかし、「年の差婚夫婦でなければ」発達障害持ちは生まれないのか。

私の両親は3歳しか歳は離れていない。
同じ発達障害持ちである私の友人の両親も6歳離れているが、「年の差婚夫婦」といえるかどうかは微妙だ。

結局、これも確率論でしかない。
確率論だけで「生きる権利」や、「子供を持つ権利」を狭められることなどあってはならないと思う。

それに、児童に限れば、「発達障害持ちに必要な支援・教育の方法」は確立されつつある。

このようなことを考えた時、私は昔、テレビで見た海外ドラマを思い出す。
20世紀はじめのアメリカの、先天的な全盲の夫婦の物語だ。
幼少からはもちろん、夫婦になってからも苦労を重ねてきた。
そんな夫婦は3人の子供を授かる。
子どももすくすく成長するが、末っ子が両親と同じ症状からくる視覚障害に陥る。
しかし、両親は絶望しなかった。
自分たちの生きてきたことを末っ子にも伝授すればいいし、それに時代は進んでいて視覚障害者たちを社会的に支援する制度も出来上がっていたからだ。

本当に思うんだよなあ…
子供がダウン症かどうか調べることを煽ったり、発達障害持ちが生まれるからと「年の差婚夫婦」に「子供を作るな」と怒鳴ることよりも、これら当事者が生きていけるための社会的支援を整えるべきではないかと。

本日は以上。Adios amigos!!

*1:石田純一東尾理子夫妻や、藤島康介御伽ねこむ夫妻あたりをイメージしてください。ちなみに両夫妻とも既に子供がいる。