ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

「いのちの授業」が通用しない人たち…これ、高齢HIKIKOMORIのことではないのか。

おはようございます。Buenos Dias!!

最近更新が滞って申し訳ない…

先日、ツイッタータイムラインであるブログ記事を見た。

blogos.com

ここでいう「誕生学」とは、いわゆる「いのちの授業」というものである。
「いのちの大切さ」「いのちが生まれることは素晴らしい」と説いて回る「ビジネス*1」である。

詳しくは記事を読んでほしいのだが、「誕生学」が通用しない人たちの一つとして、「自傷行為をする人たち」「薬物依存症患者」のことを取り上げている。

記事より引用。

 では、自傷経験のある1割の子どもには、どのような特徴があるでしょうか。私の調査では、自傷経験者は早くから飲酒や喫煙の経験があり、市販薬の乱用経験者も多いことがわかっています。また、身近に薬物経験者が多く、自身も誘いを受けた子が少なくありませんでした。以上のことは、1割の自傷経験者は薬物乱用のハイリスク群であることを意味します。

 しかし、最も驚いたのは、私が過去に行った「ダメ、ゼッタイ」的な薬物乱用防止講演に対する、彼らの感想でした。というのも、自傷経験のない生徒の大半は私の講演に対して「薬物は怖いと思った」、「絶対に手を出さないと決心した」という模範的な感想を書いていたのに対して、1割の自傷経験のある生徒はそろいもそろって「健康を損なうのは自分だから、薬物を使うのはその人の勝手」という虚無的な感想を書いていたからです。

(太字強調は引用者。以下同じ)

「誕生学」「いのちの授業」が通用しない人たちは、「いのちの素晴らしさなんてちっとも思っていない」し、「いのちをぞんざいに扱おうがそれは自分の勝手だ」と思っている。
こういう人たちに「常識=主流秩序」の観点から説教しても無駄である。
再び引用。

 しかし、私は、この多方向に「自傷的」な子どもたちが抱えている問題の中で、最大の自傷とは、リストカットでもなければ、拒食・過食でも市販薬乱用でも危険なセックスでもないと考えています。最大の自傷とは、「つらいときに人に助けを求めないこと」、すなわち援助希求能力の乏しさです。これこそが、彼らの自殺リスクを高める根本的原因と言ってよいでしょう。

この太字部分から、私は「高齢HIKIKOMORI」の二条師匠を思い出した。
師匠のブログはそれはもう「世の中への憎悪」に満ちている。
親兄弟、学校生活、そして就労…
恋人「律子=リツコ=R子」だけが唯一の味方だ。

再び引用。

  断言します。自殺予防のために必要なのは、道徳教育ではなく、健康教育です。それは、1割の少数派の子どもたちに「つらい気持ちに襲われたとき、どうやって助けを求めたらいいか」を教え、9割の多数派の子どもたちに「友だちが悩んでいたら、どうやって信頼できる大人につなげたらいいか」、「そもそも信頼できる大人は、一体どこにいるのか」を教えることです。

まさに、私自身が弊ブログで伝えようとしていることだ。

信頼できる大人は、大人にとって不都合な言動を単純に禁止しません。きれいごとを言い聞かせもしません。

地域活動支援センターの精神保健福祉士「大佐」が、まさに「信頼できる大人」であった。

私はこれからも、自分の経験をもとに、いろんな書籍やブログなどを参考にしながら、「自分は生きていてもいいんだ」と思えるようになるにはどうすればいいかを綴るつもりだ。

それにしても、「不登校情報センター」って、「諸星ノア」といい、「二条師匠」といい、「当事者の生き方に対する軌道修正」が全然できていないよね…*2

それではまた。今日からまた仕事です。

*1:実際、「誕生学」には登録商標マークがついている。

*2:ちなみに、弊ブログで紹介した「ひきこもり新聞」の兄貴分である「不登校新聞」はドメインが「futoko.org」。で、「不登校情報センター」のドメインは「futoko.info」。実に紛らわしい。