ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

「ひきこもりセキラララ」改めて読了。共感とともに腹立たしさも感じた。

こんばんは。Buenas noches!!

前回記事で紹介した「ひきこもりセキラララ」、只今読了。

私のHIKIKOMORI研究の原点といってもいい本であり、実際ここで綴られる「HIKIKOMORIあるある」集は自分にも当てはまっている。
実際、共感の手紙を出版社に送り、著者「諸星ノア」本人から年賀状をいただいた。

以下、改めて読んで共感したところと、同時に腹立たしさを感じたところを綴る。

共感①親との確執

父親との仲は険悪

ノア自身もまた、私や他のHIKIKOMORI当事者同様、親との仲は悪い。
私も父親とはよく衝突するので本当に共感しまくりだった。
本書の中で、父親は「常識」を盾に自分を責めてくることが綴られている。
その最たるものが「相田みつを責め」だ。

相田みつを責め

著書では以下のように綴られている。

 "常識責め"に加えてここ数年で加わった父の責め苦に、"相田みつを責め"がある。……それで相田みつをの言葉が入った日めくりカレンダーを、洗面所やトイレのドアの内側に掛けている。……父が意識的に相田みつをの言葉を選んでめくっている。その言葉の選び方が、どうも私に向けられているフシがある。……

(P120)

 本書にて掲げられた具体的な「相田みつを責め」。
「考えてばかりいると日がくれちゃうよ」
「どうでもいいものから捨ててゆくんだね」
「だれうらむことはない 身から出たさびだなあ」
「ひとつひとつかたづけてゆくんだね 具体的にね」
「体験してはじめて身につくんだなあ」
「アレもコレもほしがるなよ」
「自信はなくてうぬぼればかり ああはずかしいはずかしい」
……

相田みつをの言葉を借りて、父親からの責め苦は続く。
考えてみればごもっともなことであるが、弊ブログで何度も綴っているように、HIKIKOMORIはじめ社会不適応当事者に、「常識=主流秩序」の観点からの説教やアドバイスは通用しない。

共感②社会への不適応

本書における社会不適応ぶりもまた、私と同じだ。
アルバイトすらまともにこなすこともできない。
学校生活ではIJIMEはもちろんのこと、部活でも後輩からなめられる。*1

近所が怖い

そんな中でも、HIKIKOMORI当事者の恐怖は「ご近所コミュニティ」だろう。
本書でもそのことが綴られている。
幕間の漫画にそれが綴られている。

運動不足解消に外に出てはみるものの、「昼間から普段着で近所をうろつく働き盛り世代」は異様に映るようで、視線がとても怖い、という内容。

また、別の漫画では、床屋さんに「今はどんな仕事されてますか?」と聞かれることの恐怖を綴っている。

これはうつ病に罹る前の近所のトレーニングルームで私が感じたことだ。
当時私は就職活動をしていて、いろんな会社から「御祈祷」を受けまくっていたころだ。

「仕事決まったの?」「そろそろ内定決まったころだよね?」etc…

で、私が「イヤ、決マッテイナイデス…」というと、

「熱意が足りないんじゃないのか?」「もっと熱くなれよ」「やらないから受からないんだよ、やればできる」

と、団塊世代の常連さんから「相田みつを責め」ならぬ、「松岡修造責め」を食らい、それ以来10年以上トレーニングルームに行けなくなった。
再び行けるようになったのは現在の仕事が定着できた一昨年からだった…

共感③おそらく「ノア」氏も発達障害

本書を以前に読んで感想文を送り、本人から返信をいただいたことは先述したが、改めて本書を読み直すと、やはりというか「ノア」氏も発達障害と思われる節がある。

仕事(アルバイト)と趣味が両立できない理由として…

 また一度に一つのことしかできない。二つ三つを並行してやるということができない。一つのことに取りかかると、それが気になって心がそれ以外には向かわなくなる。趣味のイラストを描いている時は、それ以外に精力が向かない。働いている時はそれだけで疲れ切ってしまって、余暇を使ってオリジナルの絵を描こうという気が起きなかった。今アルバイトを始められない理由の一つには、それを始めるとイラストが描けなくなることを恐れるからである。仕事やアルバイトとイラストが両立できないのだ。イラストが描けなくなることは、自分のアイデンティティーに関わる問題なので、外すことができない。

(P37)

「一度に一つのことしかできない」「イラストが描けなくなることはアイデンティティーに関わる」…まさに発達障害の特徴だ。「マルチタスク不可」「イラスト制作へのこだわり」…
他にも発達障害を思わせる特徴が、本書の各所で見られる。
以前に読んだときは、自分自身発達障害持ちであることすら気づいていなかったからなあ…

HIKIKOMORI当事者の大半が発達障害持ちであることはすでにHIKIKOMORIに関する各種記事で明らかになっている。
むろん、ダイヤモンドオンラインコラム「引きこもりするオトナたち」でも取り上げている。

diamond.jp

さて、ここからは腹立たしさを感じた点を綴る。

腹立たしさ①14年経って何も変わっていない…

本書の奥付にある初版年月日は「2003年10月20日」。
実際の発売日より未来の日付にするのが業界の習慣なので、実際はもっと早いが。

年数にして14年…

残念ながら、あれから何も変わっていないようだ…

先日、久しぶりに「ノア」氏のブログを訪問した。

ほとんど更新されていない様子だった。
年1~2回のペース。

コメント欄も閉鎖されていた。
「ダメ人間」として、各所で嘲笑され続けていたからだろう。
私もコメント欄で「口論」したからなあ…

そして2018年、「ノア」氏は50歳を迎える…

もう一つの腹立たしさは、彼の「性欲」と「女性観」。
これはさらに長くなるので、次回綴る。
その際は新カテゴリー「セックス・ジェンダー」を設ける予定。

それでは。

*1:もっとも、学校という場所は主流秩序への「矯正収容所」であり、「主流秩序からずれた人」にとっては「恐怖の館」でしかないことは、映画「校庭に東風吹いて」の感想で綴った。