ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

HIKIKOMORI当事者たちに必要なのは「成功体験」だ。

こんばんは。Buenas noches!!

最近、イッシン山口&ユッキーナが配信しているニコ生を視聴した。

ch.nicovideo.jp

最終更新回は日本自閉症協会の会長の方がゲストだった。
とても興味深い話が聞けてよかったと思っている。
発達障害当事者は頭脳のOS(オペレーティングシステム)が違う」というのは良いフレーズだ。

さて、弊ブログでちょくちょく取り上げている「引きこもりするオトナたち」。
最新更新記事も考えさせるものだった。

diamond.jp

「HIKIKOMORIは若者の病」と決めつけたままの内閣府

何度も綴っているが、内閣府はHIKIKOMORIの定義は「39歳まで」と定めている。
で、記事にもあるように「若者のHIKIKOMORI」が高齢化により定義から外れるようになっただけであるにもかかわらず「支援対策が功を奏した」とうそぶいている。

しかも、そこに「NEETニート)」の概念もつっこまれて訳が分からなくなってしまっているのがわが国のHIKIKOMORI把握の現状だ。
記事より引用。

 これまで内閣府が担当してきたのは、「若者就労支援」だ。もちろんこれは、若者を対象にした「ひきこもり支援」の1つにあってもいいテーマではある。しかし振り返ってみると、同省はかつて「ニート」という言葉をつくらせて、「働く意欲がなく(ハローワークに通わないで)、ぶらぶらしている34歳以下の若者」という曖昧な定義を流行らせようとしたことがある。

 

 その結果、引きこもる人たちも、行政や支援者側の都合によって、一時期「ニート」にひとくくりにされ、支援対象者が年齢で線引きされるという枠組みもつくられた。しかも、「ニート」という言葉の持つイメージが、世間からバッシングの対象にされ、当事者たちを脅えさせることになった。

ちなみに、最近では「HIKIKOMORI」が国際共通語になっており、その意味も「社会に適応できない人たち全般」を指すようになっている。
おそらく日本的用法の「NEET」 も、国際語の「HIKIKOMORI」の範疇になると思われる。

世間に甘えてはいない。むしろ世間を嫌悪している

そして、「HIKIKOMORI」に対する世間の反応も、問題化した十数年前からほとんど変わっていない。

  • 世間に甘えている
  • 親に経済的に「ちやほや」されているのだ
  • 危機感が全くない
  • etcetc…

言っておくが、「HIKIKOMORI」、それも高齢HIKIKOMORIたちは世間に甘えてはいないと思う。
むしろ世間を嫌悪し、恐怖している。世間は「常識」「主流秩序」と言い換えてもいいと思う。

で、こんな「世間を嫌悪し、恐怖している」HIKIKOMORI当事者を…

  • 矯正収容所で叩きなおすべきだ
  • 周りはもっと虐待しても構わない
  • 社会的制裁を浴びせよ
  • etcetc…

と冷や水を浴びせているのも十数年間変わっていない。

なお、相変わらずこの手のブログを執筆していると、バナー広告等に「HIKIKOMORI搬送します」「HIKIKOMORIを放置すると恐ろしい事態に…」などという広告を目にするようになるのだが*1、これらに共通するのは「親や家族への警告(いや脅迫か)」ばかりが並べられ、当のHIKIKOMORI当事者に寄り添うようなものが一つもないことを指摘しておく。

「世間」から馬鹿にされてばかりのHIKIKOMORI。成功体験が圧倒的に足りない

そんな、世間から馬鹿にされてばかりのHIKIKOMORI当事者であるが、元HIKIKOMORI当事者だった私が思うのは、

少しでも成功体験を味わうことさえできれば、自信と自己肯定感を取り戻すことができるのではないか?

ということである。

家庭でも、学校生活でも、就労生活でも馬鹿にされ続けてきた人たちが例外なくHIKIKOMORI当事者になっている。

先ほどの記事の話に戻る。
記事の終盤では以下のように綴っている。引用。

 大事なのは、就労だけではない。それぞれが生きたいと思える意志を持てることが何よりも優先される。これまでは、引きこもり当事者たちが自ら選択さえできず、国や法律が年齢やメニューを選択していた。しかし、よく考えてみれば、自分の人生なのだから、自分自身の意思で選択すればいいのだ。

その通りだと思う。
就労云々以前に、「自分なりの成功体験」を当事者自身が味わわない限り、 「矯正収容所」に突っ込んだところで再びHIKIKOMORIに逆戻りだと思う。

私自身がそうだから。本当に「大佐(精神保健福祉士)」がいてよかったと思う。

最初に、「発達障害当事者はOSが違う」と綴ったが、HIKIKOMORI当事者もまた、「世間のものとOSが違う」と思う。
HIKIKOMORI当事者たちに「世間の常識」を当てはめることは、「Mac OSのパソコンに、Windows用のアプリを突っ込む」に等しいことだと思うのだ。

何度も言うが、HIKIKOMORIは「若者の病」ではなく、もはや「中年の病」なのである。

*1:以前、嫌悪感を催した「ダウン症出生前診断」の広告が出てきたのも、この手のシステムによるものだろう。