ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

成功体験のこと、続きです。

おはようございます。Buenos Dias!!

前回、HIKIKOMORIに必要なのは成功体験、とタイトルを打っておきながら、成功体験のことについてほとんど触れていないのに気が付いた…

というわけで今回はその続き。

「選手たちにメダルを獲らせたい」

「成功体験」について、私が思い出すのは、シンクロナイズドスイミングの「井村のおばちゃん」が言っていたことである。

最初に断っておくが、私は「井村のおばちゃん」の言動については99.9%否定する。
選手たちを怒鳴り散らすあのサマは、ブラック企業経営者そのものであり、サディスト(加虐趣味者)だ。
また、自分の「教育」方針が一般にも当てはまると思い込んでいるフシがあり、大阪府定時制高校が大量廃校される際には「教育委員」として定時制高校に通う人々を罵倒する発言をしている。

ただ一つ、私が「おっ」と思った発言に、

「選手たちにメダルを獲らせたい」「自分にはメダルを獲得させる責務がある」

というのがあった。

メダルを獲らせたい、それはすなわち「成功体験を味わわせたい」。
「これはHIKIKOMORIからの回復を目指す人々、および支援者にとって大事な観点になるのではないか」と私は思ったのである。

「HIKIKOMORIからの回復」を謳うのなら、成功体験をさせるのが責務だろう

2年ほど前までの私も含む、HIKIKOMORI当事者たちは圧倒的に成功体験が足りない。
そのために、自分に自信が持てず、逆に自己否定・イジケにさいなまれている。

HIKIKOMORIたちに対して、世間の視線は冷酷だ。
それは弊ブログでもさんざん綴っている。

「HIKIKOMORIを立ち直らせる」ことを謳う機関の広告もちょくちょく出てくるが、その実態は「矯正収容所」と断言していい内容のものばかりだ。

そんなHIKIKOMORI矯正収容所であるが、成功体験を味わわせようというところが一つもないように感じる。
それもそうだろう。世間一般では、HIKIKOMORIたちは「ごくつぶし」同然の存在と思われており、「厳しい熱血指導(という名の虐待・人格否定)こそが最良の薬」と思い込んでいるのだから。
先述の「井村のおばちゃん」も同様の主張をしている。

あったとしても、それはHIKIKOMORI当事者本人の意見・要望を無視し、世間一般の価値観を押し付けるのが目的になっているような気がする。

私は声を大にして叫ぶ。

HIKIKOMORI当事者本人の意向に沿った形の「成功体験」を味わうことができれば、HIKIKOMORIからの回復は容易である、と。

HIKIKOMORIに当事者本人の意向に沿った形で成功体験を味わわせること、それが支援者の役割だ

私自身、以前につづった「大佐(精神保健福祉士)」や、現在の職場の「メンター」である「主任」に「成功体験を味わわせるための施策」をしてもらったおかげで、「自分は生きていてもいいんだ」と思えるようになり、今がある。

HIKIKOMORIはじめ社会不適応当事者への支援者は、肝に銘じるべきだと思う。
HIKIKOMORIに必要なのは「世間の常識=主流秩序に沿わせるための恫喝」ではなく「成功体験を味わわせてあげること」だと。

そのためにはなあ…
やはり当事者たちができるだけ「公認された社会的弱者=障がい者」に認定される必要があると思う。

なぜなら、「障がい者」なら、「障害者職業センター」など公的・私的問わず支援体制が出来上がっているが、「HIKIKOMORI」だと、どこの馬の骨ともわからない、それこそ「矯正収容所」くらいしか「支援施設」がない。
また、内閣府は「40代以上のHIKIKOMORI当事者」はいないことにされていることも問題だ。

追伸

最近、図書館で「障害年金というチャンス」という本を借りて読んでいる。
ここにはまさに私が綴ってきたこと、声を大にして言いたいことが書かれている。
また後日、感想を綴ります。

それではまた。Adios amigos!!