おはようございます。Buenos Dias!!
今朝、私が熱烈応援している「ひきこもり新聞」のことがNHK「おはよう日本」に取り上げられていた。
しかし、NHKがそのとき使っていた「全国に54万人」の数字って、40歳以上の当事者を排除した内閣府発表の数字ではないか。
ええかげんにせえよ。だからNHKはじめ報道機関はジャーナリズムではなくて「マスコミ屋」なのだ。
さて、今回はそんなHIKIKOMORIの人たちにも知ってもらいたい「障害年金というチャンス!」という本について紹介する。
書評「障害年金というチャンス!」
以前のシリーズ連載「私と発達障害」にて、10年以上前に「障害基礎年金」の手続きを自力で実行し、受理されたことを綴った。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
本書は、まさに私が単身・自力で年金についてやってきたことを、社会保険労務士の方々がつぶさに綴られている本といえる。
なお、本記事では、本書を読了して私が印象に残った部分を抜き出す形で綴る。
本書の全体像を知りたい場合は、それこそ本書を読んでほしいと思う。
権利は、行使しないと享受できない
この手続き*1を自分から手を挙げて年金事務所に行なわないと、障害年金は絶対にスタートしません。「請求主義」なのです。国のほうから「今まであなたは障害年金を受給していなかったけれど、病気が重症化してきたから障害年金を請求してくださいねー」なんて請求のための書類が送られてきて、ご丁寧に教えてくれることは絶対にありません。(P31、太字強調も原文ママ)
私は大学卒業後、職場に定着できず10年以上「HIKIKOMORI」の状態だった。
地元の精神保健福祉センターで私は「広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)」の診断をもらった。
同センターの図書室で、私は障害基礎年金の存在を知り、単身・自力で書類をそろえた。
この一文は、「権利というものは、自ら行使しないと享受できない」ことを表しているとともに、「わが国において『権利』というものが『義務を果たしたものに自動的に与えられる報酬』と勘違いしていること」への批判にもとらえられる。
「わが国の『権利』に対する勘違い」については、また後日綴る予定。
初診日証明は、カルテでなくてもいいらしいぞ
初診日の証明はどんなものでも構いません。それが初診日として認められるのか認められないのかの判断は別として、何でも構いません。何か、自分で病院を受診したという痕跡がないかをよく調べてみることが重要だと思います。(P138-139)
- 何十年も前の身体障害者手帳の写しを市町村から取り寄せた。
- ケガの治療などで保険会社などに提出をした書類に初診日の記載があった。
- 診察券に、初診日年月日が書かれていた。
- お薬手帳を持っていた。
- 領収書を持っていた。
- 労災や傷病手当の書類に初診日の記載があった。
- 医師が毎日、日記を書いていた。患者さんの受診についても詳細に書かれていた。
- 30年以上も続けている日記があった。20年以上も前の日記に病院に行ったことの記載があった。
- 病院を緊急で受診するというメールのやり取りがあった(メールを写真に撮り年金機構へ提出)。
- 医療機関のPC上にデータが残っていたため、そのデータの印字を提出。
- 廃業した医師を探し、医師に意見書を作成してもらった。
- 自分の当時のスケジュール表に初診日のことが記載されていた。
長くなったけれど(引用ではなく、転載になってしまうかも…)「初診日の証明」についての本書での説明を抜き出した。
私も「初診日の証明」についてはやや戸惑った。
なにせ現在の「広汎性発達障害」のことについて診察を受けたのは幼少のころだったから。
カルテなんてさすがに残っていないだろう…
案の定、当時通院していた病院に尋ねると、カルテはすでに破棄されていた。*2
しかし、私が幼少のころに通院していた記録は残っていたので、それを「初診日の証明」にすることを試みた。
それが功を奏して、私は障害基礎年金を享受することに成功した。
とにかく、「初診日の証明=カルテ」という観念を捨て、「生きるために必要なものである」という意志をもって書類をそろえてほしいと思う。
「公認されない社会的弱者」はどこまでも救われない…
14年間で私が学んだことは、どんなにつらい病気を患い、苦しい思いをし、それが真実だろうが事実であろうが、病気を国が認めないかぎり、我が国では社会保障制度という傘の中に入ることはできないということです。(P208)
本書の終盤では、本書共同執筆者の社会保険労務士たちに出版のきっかけを与えたという「脳脊髄液減少症」の当事者の手記が掲載されている。
この一文、まさに私が弊ブログで問題にしている「公認されない社会的弱者」そのものである。
HIKIKOMORI当事者がその代表だ。
また、様々な種類のある「難病」当事者も、「障がい」として認定されず社会福祉・保障制度の輪に入れないケースも多いという。
この方は長年の闘争により、「脳脊髄液減少症」を障害年金の受給適用対象にすることに成功したのだ。
HIKIKOMORIたちも闘うべきだと思う。
HIKIKOMORIも障害年金の対象にすべきだと。
そのためにも私は弊ブログでいろいろ綴っていきたい。
障害年金は生きるための権利だ
最後に言いたい。
私が障害年金の受給対象に認定されたとき、父親は世の「主流秩序に囚われている人たち」同様に、「障害年金をもらっているおまえは国から施しを受けているんやで」と罵倒した。
しかし、私はそれは違うと思う。
障害年金は「生きるための権利」である。
現に私は社会不適応状態、すなわちHIKIKOMORIだった。
HIKIKOMORIが障がい者でないとしたら、いったい何であろうか。
あのときの年金受給申請は、「HIKIKOMORI当事者が『障がい者=障害年金の受給対象』に認定されるか」の試金石だったと思う。
そして、私は受給に成功した。
失敗していたら、たぶん私は自死でこの世にいないとおもう。
HIKIKOMORIはじめ「公認されない社会的弱者」の研究もできなかっただろう。
最初の項目にも綴った通り、現代的な「権利」は行使しないと享受できない。
そして、生きるための権利は遠慮なく行使してほしい。
それが、本書発行の最大目的だと思う。
それではまた。Adios amigos!!