ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

「店員に敬意を払おう」、私も実践しております。

こんにちは。Hola amigos!!

なかなか更新できず申し訳ないです…

今回は、先日ツイッター閲覧して「おっ」と思った記事について綴る。
情報労連の先月7月「悪質クレームと向き合う」特集の一環の記事である。

ictj-report.joho.or.jp

「恐怖のない職場づくり」

 英国のUNI加盟組合Usdaw(店舗流通関連労組)は、2002年に「Freedom From Fear Campaign(恐怖のない職場づくりキャンペーン)」を始めた。今でも毎年11月、「Respect Week(敬意を払う一週間)」を続けている。店舗で働く従業員や組合員に対する暴力や脅しが増え続けていたため、この問題を、使用者、政府、一般市民を巻き込んで解決しようとしたのだ。

 「へえ、英国の労働者たちってこんなことをしているんだな」、私はとても感心した。
近所のスーパーなどでの「お客様の声」をちょくちょく見るのだが、商品や店に対しての要望に交じって、「●●コーナーの店員の態度、まじあり得ないんだけど」「●●を首にしろ」という文言が一つ二つあるのはもはや当たり前なのよねえ…
そして「お客様」の要望やらに応えられないと「キレる」の。

そんな中で、「恐怖のない職場づくり」というのはなかなか面白いなあと思ったのである。

普段店員さんがどのような思いで仕事をしているか考えたことはありますか?

よく、マクドナルドやモスバーガーなどでちょっとした食事を購入することがあるが、カウンター後ろの厨房を見ると店員さんは本当に目まぐるしく仕事をしておられる。
発達障害持ちの自分にはとても無理だと思うほどに。

そんな店員さんたちはどのような思いで仕事をしているのだろうか。
私は常に気にかかってしまうのである。

以前、私は「ニ●リ」でお客様を怒らせ、出社拒否に陥った。
また、それ以前には「お客様からのクレーム」と言って突然解雇されたこともある。

プロだからといって、無茶・尊大な要求にこたえる必要などあるのだろうか

私の出社拒否、解雇経験などに対し、「雇われている・報酬をもらっている以上はプロなのだからお客様の要望に応えられなければ首にされて当たり前だろ」という声があるかもしれない。

しかし、プロだからといって、無茶・尊大な要求にまで丁寧にこたえる必要なんて果たしてあるのだろうか。
再び引用。

(前略) 顧客に「店員にも敬意を払おう」と呼び掛けると同時に、従業員や組合員に、「客から嫌がらせを受けるのがあなたの仕事ではない」「あなたの日々の仕事の中で客からの容認できない行為を放置してはならない」という強いメッセージを伝えるのが重要な目的だった。店員は、客からの暴言や暴力に耐えなければならない、解決策もないと思い込んでいたからだ。(太字強調は引用者)

「客から嫌がらせを受けるのがあなたの仕事ではない」
「客からの容認できない行為を放置してはならない」 
いやあ、本当におっしゃる通りです。

「ニ●リ」では、私は店内清掃員として雇われた。
しかし、営業中の店内で勤務するため、お客様からは「この商品はどこにあるのか」というものはもちろん、「この商品って他の商品とは違う特色とかあるの?」などということまで訊かれた。

「申シ訳ゴザイマセン、ワタシハ清掃員ナノデ…」とはとても言えなかった。
「お客様は神様」「顧客からの要求はなんとしても応えろ」というのが「常識」だったから。

店員に敬意を払おう。お客様は「仏様」でありたい

私は、店員さんに商品のありかなどを尋ねる際は「オ忙シイトコロオ時間ヲトラセテシマッテスミマセン」と言い、店員さんが私の要望に応えて下さったときは「本当ニアリガトウゴザイマシタ」と言うようにしている。
たとえ、要望に応えられなかった場合でも「申し訳ございません」という店員さんに対し「イエイエコチラコソゴ多忙ナ中手間ト時間ヲトラセテシマイマシタ」と言うようにしている。

これは、「お客様は『仏様』でありたい」という私の思いである。

それではまた。Adios amigos!!