ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

「毒親の条件」第5回「『常識』『みんな』を持ち出して子どもを叱責する」

こんばんは。Buenas noches!!

このシリーズでは「毒親」という言葉を使っているけど、最近あるジャズ演奏家がドラマーの卵というべき中学生に対しすこし「逸脱した行為をした」からと言って顔を殴打することをやったらしい。

lite-ra.com

で、これに対して「世間のオトナ」たちが演奏家氏を擁護しているらしい。
むろん、私の父親も擁護していた。

こうして考えると、「毒親」と、「親」だけを問題にするのは不十分かもしれない。

むしろ、「毒オトナ」全体を問題にすべきかもしれない。

私も「HIKIKOMORI」だったころは毒オトナたちの「毒素」を沢山浴びたからなあ…
主な毒素は「相田みつを責め」「松岡修造責め」だったわ。
そしてその毒素の源は団塊世代

第5回「『常識』『みんな』を持ち出して子どもを叱責する」

今回の「毒親の条件」は「常識」だとか「みんな」を持ち出して子どもを叱責することを綴る。

「常識からみて恥ずかしい」「みんなが迷惑するだろう」と叱責されたこと、ありますよね?

私は駅で電車を待つなど、「一ヶ所でずっと待つ」ということができない。
また、よく「ひとりごと」をしゃべる。

これらの行為をしたときに父親は「こら、じっとできないのか」「ひとりごとしゃべってたらあかんぞ」とことあるごとに言った。

ここら辺はまあわからなくもない。確かに意味もなく動き回り、また誰に対してでもなく一人でしゃべっていたら周りから見て「変」だと思うのはその通りだし。

ただ、ここで父親が、

「そんなの世の常識から見たら恥ずかしい限りだぞ」
「みんなが迷惑をこうむっている、という目で見ているぞ」

と、「常識」「みんな」を持ち出すのが意味不明だった。

世の中にはいろんな人がいる、ということが父親にはわからないらしい。
別に意味もなく動き回っていようが、ひとりごとをしゃべっていようが気にしない、という人もいると思う。

「親である俺が恥ずかしくなるから」

というほうがいっそすがすがしいと思うのだが…

しまいには会ったこともない「有名人」を持ち出してくる…

そして、「常識」「みんな」を引き合いに出して子どもを叱責する行為だが、これがエスカレートするとこういいだすのよね…

「(子どもが好きな芸能人やアニメキャラの名前)も恥ずかしいと言っているよ!!」

「ア、イヤ、チョットオ父サン、アナタ芸能人ヤアニメキャラカラ直接聞イタノ?」
と突っ込みたくなるのだが…

なんか、叱責するにしても「狡猾さ」を感じてしまうのよね、「常識」「みんな」「有名人」を持ち出すのが。

次回に続きます。