おはようございます。Buenos dias!!
久しぶりのBuenos dias!!だなあ…
今回は、まえから綴りたいと思っていた「社会福祉は『本当に必要な人』にのみ与えるべき」という話について。
昨年、人工透析が必要な人たちに対し「全額自己負担にすべき、払えないなら死ね」と公式ブログに綴ったフリーアナウンサーがいた。
そのフリーアナウンサー氏は、その後の弁明で「先天的・遺伝的理由で人工透析を受けている人は別」と言った。
つまり、「社会保障や医療など『社会福祉』は、『本当に必要な人』にのみ与えるべき」、という論理ですね。
この手の「論説」は、いろんな出来事で、あちこちで聞かれる。
以前よく訪問した二条淳也師匠のブログでも「生活保護は『本当に必要な人』に与えられるべき」ということが常連訪問者たちとのやり取りにあった。
なんかこれに、「現象」として「命名」がしたくなってきた…
ふとそう思ったら、「トリアージ」という言葉が思い浮かんだ。
「トリアージ」とは、災害医療において使われる用語で、「まず『どの患者を優先的に治療すべきか』を判断するため患者たちを『格付け』すること」である。
災害など緊急状況下では、施設や交通機関が麻痺した状態であり、すべての患者を満遍なく治療することができない。
そこで、「優先順位」を振り分けるためになされるのが「トリアージ」、というわけである。
さきほどの「人工透析を受ける患者」なんかまさにそれだわな。
「生活習慣病*1で病気になった人なんて治療する必要はない。先天的な原因で病気になった人を治療すべき」ということなんだからなあ。
災害医療において用いられる「トリアージ」の論理を、社会全体に当てはめようとする…
そうだ…
「社会的トリアージ」
よし、この言葉を命名しよう。
ダーウィン進化論の論理を社会に当てはめる「社会ダーウィニズム」という言葉もあるんだし。
ちなみに、私が尊敬する藤田孝典氏の著書「貧困クライシス(毎日新聞出版)」にも「社会的トリアージ」を批判する部分がある。
「本当に困っている人だけ助けよう」とは、財源が乏しいとき配分をめぐって必ず見られる言説である。一見、もっともらしく聞こえるが、誰が「本当」を決めるのか、結局は、そう言っている人が自分で決めたいのだ。
ほっとプラス*2に寄せられる年間約500件の相談のうち、ブラック企業で働く若者はうつなどのメンタル疾患に悩み、中高年の多くは脳梗塞や心筋梗塞といった、循環器系疾患や生活習慣病を抱える。持病を抱えていない人がほとんどおらず、「自業自得以外で病気になった人」とそうでない人との線引きなど、独善的にしかできない。(後略、P67)
それではまた。昨日は台風の暴風域が地元に直撃しましたわ…