ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

うちの母親が「ずっと働きたい」と思うのは働くことしかできないから。あるいは毒親の条件第7回の続き。

こんにちは。Hola amigos!!

やはり更新頻度がおぼつかないなあ…

今回は、毒親の条件第7回の続きとして、私の母親のことを綴る。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

 

「生涯現役社会」の現実

最近、現政権*1は「一億総活躍社会」というスローガンのもと、「たとえ高齢者であっても働ける人はいつまでも働けるようにすべし」というシステムを構築しようとしている。

翻って、私の母親は手術から3カ月が経った現在、職場に復帰している。
その職場は広大なショッピングモールの清掃だ。
盆も正月もなく出勤している。

「膝ヲ手術シタトイウノニソンナ仕事ヲ続ケテ大丈夫?」と私は言うのだが、母は「大丈夫よ。というよりも、私には働くことしかできないから」と仰る。

私は思う。
「生涯現役社会」とか言っているのは「老後でも私は働くことしかできない」という立場を利用しているようにしか思えない。

私の母親も中卒ですぐ働いた

ここで私の母親の生い立ちを綴ろうと思う。
毒親の条件」で綴った父親同様に。

私の母親は1950年(昭和25年)生まれ。
父親より3歳年下。

母親もまた、中学卒業後、すぐに就職した。
そして、父親同様、職を転々とした。
裁縫の「お針子」、伝統芸能の家元の「メイド」、文房具メーカー…
特に、文房具メーカーは中卒者は正社員になれない規定があったが、職場での貢献から特例的に正社員になれたらしい。

母親になってからも「仕事」は続けた

その後、父親と結婚して私と弟を出産する。
今までの仕事は辞めた。
それでも、少しでも家計の足しにすべく私と弟が中学生になるまでは内職をやり、それ以降はスーパーや縫製工場などでのパートタイムの仕事をこなした。
そして現在に至っている…

実は、母親の現在の職場は、私が求職活動をしていた際に、私がかき集めていた求人情報誌(フリーペーパー)を見ていて発見したのだという。

仕事ばかりしてきた母親(父親も)に、いざ「趣味をやれ」と言われてもどうしたらいいのかわからない…

母は趣味らしい趣味はほとんどやらなかった。
スポーツ、手芸、園芸、料理などなど…
「趣味なんてやっている時間があったら仕事がしたい」母親の口癖だった。

「仕事ばかりやらなくても、もう少し趣味に目覚めればいいのに…」私は思っていた。

ただ、現在、母親がこういう考えに至った理由がある程度理解できるようになった。

それは、「仕事ばかりの人生を生きてきた人たちに、いざ『趣味をやれ』と言われてもどうしたらいいかわからない」ということ。

あるいは、「趣味もできるような立場にいられる人たちは、もともと趣味に生きることに慣れてきた人たちである」ともいえる。
プロスポーツ選手が引退したところで、他の仕事をやれと言われてもまず職場に適応できないのと同じようなものだろう。

HIKIKOMORIになってしまって、ごめんなさい…

母親が現在も仕事を続けている理由の一つには私自身も含まれている。
私自身、職を見つけることが、そして職場に定着することができず、半ば「HIKIKOMORI」として大学卒業から10年以上生きてきたことは無関係ではないだろう。

その点で、本当にごめんなさいと言いたい。

現在の私も仕事もパートタイマー、すなわち非正規雇用
一応職場の上司は「ぜひ定年まで続けてほしい」と仰ってくださるが、職場の状況、そして経済状況でどうなるかわからない。

「生涯現役」は、「将来不安」の裏返し

私の母親の事例から見て「生涯現役」というものは、

「将来不安」の裏返し

というのが実情なのではないかと思えてならない。

経済状況や家計状況、特に子どもたちが社会不適応、すなわち「HIKIKOMORI」になってしまうことへのリスク。

そういうことを抱えて、「生涯現役」に身を投じている。

「生涯現役で働ける人たちには老齢年金支給の必要はない」という論者もいる。
しかしそれは違うと思う。
老齢年金が少しでも支えになっているからこそ、「生涯現役」に身を投じることができるのだと思う。
まさに、「セーフティネット」。

本日は以上である。Adios amigos!!

*1:といってもおととい(9月28日)衆議院が解散しているので政権(内閣)は一時休業中である。