ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

「政治利用」「お祭り」が、悪いことだとは思わない。

こんばんは。Buenas noches!!
2日連続の更新だぜえ。久々だなあ。

さて、今回は先ほどいただいたコメントについて綴る。
以後、コメントへの返信は記事本編で兼ねようと思う。

コメントはこのように綴られていた。

雨宮さんのコラムにはよく書かれるのです
が、街頭のデモ活動が楽しくて仕方ないと。まるで非日常のお祭り感覚なのでしょう。それで、社会を変革する、という名分まであれば、まるでヒロインの気分でしょうか。かつての学生達もそうした高揚感に身を投じたのでしょう。

 

活動を仕切る人々がいるのでしょうけど、
ああした運動が盛り上がるのは社会としては不幸なことです。当事者は楽しくても。

どうして不幸なんだろうか。
私は「お祭り」が悪いことだとは思わない。
ついでに「社会問題・福祉問題」の「政治的利用」も悪いことだとは思わない。

「当事者は楽しくても。」とあるが、まさに「当事者」だからこそああいう「お祭りイベント*1」で盛り上がらざるを得ない。

もう一度言う。
「盛り上がる」のではなく、「盛り上がらざるを得ない」のだ。
まあ、「盛り上らざるを得ない」ことをもって「不幸」というのなら、多少わかるのだが…

私はもう、「傍観者」「評論家」としてふるまうことを辞めている。
先日、地元の自治体議員選挙があったのだが、私は「福祉を大切にする」候補者のビラまきを手伝った。*2

当事者目線を失った「社会評論」「政治評論」など、くそくらえだと思う。

それでは。

 

*1:私は「デモ」という言葉はあまり好きではない。

*2:この候補者は無事に当選した。