こんにちは。Hola amigos!!
2018年が始まった。
姉妹ブログにも綴ったが、私は「おめでとう」という言葉はとても使う気になれない。
「喪中」という方もいるだろうし、私もそうだが自分の境遇を考えたらとても「めでたい」気分になれない人もたくさんいるだろうからだ。
さて、今回は以前綴った「権利と義務」についてのおさらい。
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こちらの過去記事に、わが国の人たちがよく言う「権利を求めるのなら義務を果たせ」という言説への批判を綴ったが、もう一度このことについて考えてみたい。
義務を果たさなければ、生きることも許されないのか
ここでいう「義務」とは、主に「労働」「納税」である。
何らかの事情でこの「労働」「納税」ができない人たちが、生きるための「権利」を行使しようとすると、周りからこの言葉を浴びせられる。
「義務を果たしていない奴が何を言うか」
「働かざるもの食うべからず」
しかし、私は思う。
「これらを果たしていないからと言って、生きることすら許さないというのか」
「黙って義務を果たしていれば、権利は後からついてくる」?
もう一つのおさらいは、この「御恩と奉公」的権利観が「受け身」「指示待ち人間」的な思考に陥ってしまうということ。
「黙って義務を果たしていれば、権利は後からついてくる」
つまりはこういうことである。
しかし、「障害基礎年金」の解説本の書評記事でも綴ったように、「現代的権利」というものは「自らが申請なりアクションを起こすこと」が基本である。
逆に言えばアクションを起こさなければ享受することができない。
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「黙って義務を果たしていれば…」という言説は一見もっともらしいが、「申請」「要求」「権利行使」することを許さない、封じ込めてしまう、ということにつながってしまう。
本日は大体こんなところである。
それではまた。