ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナの条件・第14回「違う立場の意見も聞け」

おはようございます。

昨日、障がい者就労支援施設の方と話し合った。
私が作ったパワーポイント資料、一部ページを丸ごと削除することになった。
まあ相手に合わせる必要もあるので、「我を通す」わけにはいかないもの…

さて、「相手に合わせる」「相手の立場も考える」。
たしかに大事なことではあるけれど、これを「押し付け」るとなると途端に「毒オトナしぐさ」となってしまう。

今回はそのことを綴ろうと思う。

違う立場の意見も聞け

私の父親からよく聞かされたことである。
繰り返しになるが、たしかに大事なことではある。

しかし、これを「上」の立場からの押し付け言葉として聞かされると、途端に「嫌味」になる。

要はトーンポリシング、「主流秩序に合わせろ」という圧力

私が父親から聞かされる「違う立場」、これは「主流秩序」とほぼ同義である。
少なくとも父親は私の立場をとことん否定する。
そして、この言葉が政権与党など「上」に対しては絶対に向かわない。
たとえば、竹中平蔵が大臣だったころ、「共産党」の国会議員の質問に対し常々、
「あなた方とは考え方が違うので」
と仰っていたが、これに対しては父親は何も言わなかった。

要はトーンポリシングだ。
「違う立場の意見も聞け」、これは訳すと「主流秩序に合わせろ、不満を言うな」ということである。

たとえば、「違う立場」の中身が、「差別はあって当然」「公認されない社会的弱者(HIKIKOMORIなど)は社会的制裁を受けるべき」などというものであっても、素直に聞かなければならないのだろうか。
これらは聞いていたら最悪「自分自身が殺されてしまう」。

父親のやってきたこと、「モラハラ」というらしい…

テーマとはずれるが、今まで「毒親の条件」「毒オトナの条件」で綴ってきた父親の行為。

最近、これが「モラハラ」という言葉で表現されていることを知った。

woman.mynavi.jpこちらの記事はいわゆる「彼氏」「パートナー」のことについて綴られているが、「自己愛が強い」というあたりは父親に当てはまる。

父親は身体的虐待はしない。実際私が反論なりをすると、
「俺が何か暴力を振るうことなんてあったか!?」
と返すし。

しかし、父親は何かと私の人格を否定する言動をする。
いまだに私が「発達障害持ち」であることを認めないし。*1

父親の言動は常に「主流秩序」の側だけを向き、私自身には向いてくれることがなかった。

それではまた。

*1:あるいは「治せる」ものだと思っている。