ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナの条件・第20回「私が最も嫌いな職業、あるいは毒オトナが最もなりたい職業、それが評論家」(追記あり)

こんばんは。
おかげさまで現在のグループホームに移り住んで約2週間になる。
なんでも自己責任*1でやらなければならないしんどさはあるが、それを割り引いても親と離れて暮らすことはとても快適だ。
ここでも「公認された社会的マイノリティ」になってよかったと思う。

さて、今回はシリーズ連載「毒オトナの条件」の第20回。

 

私が最も嫌いな職業、あるいは毒オトナが最もなりたいであろう職業「評論家」

「評論家」…私が最も嫌いな職業である。

テレビや新聞などの各種メディアで、凡人がおおよそ知らないであろう知識をひけらかすあの人々。

たしかに、たとえば野球などのスポーツ評論家(スポーツ解説者)の場合、現場にいる選手の心境だったり、「こういうときはこういう戦術が重要になってくる」など、まさに「現場で得た知識」を視聴者に伝えてくださるのでありがたい存在ではある。
また航空・宇宙・科学技術方面でもこういう評論家(解説者)の存在はありがたい。

しかし、政治・経済・社会方面においては、この手の「評論家」は単に「知識をひけらかして放言しているだけの存在」にしか思えない。

ステレオタイプ、マウンティング、トーンポリシング

特にテレビのワイドショーや報道番組に出てくる「教授」やら「弁護士」やら「ジャーナリスト」やらの評論家風情(=コメンテーター)の醜さは目を覆いたくなる。

彼ら彼女らは「ステレオタイプ」でものを語り、あらゆるニュースに対して上から目線で「マウンティング」をし、時には「アドバイスという名のマウンティング、トーンポリシング」までやったりする。

この手の人たちは大体「現場」「当事者」を知らないし、知ろうともしない。

この間引っ越しが完了した「ぼそっとプロジェクト」ブログにまさにそのサンプルがあったので紹介する。

vosot.hatenablog.com

二人目の名誉教授が、しきりと

「ひきこもりは日本の世間が生み出したもの」

と力説し、山上憶良 のような古い人まで出してきて、その論を裏打ちしようとしているが、私があっさりと

「ひきこもりは世界にいる」

という事実を示し、大学の先生の説をひっくり返してしまった格好になっている。

 

「世間学」なるものの権威が、「ひきこもりは日本の世間が生み出したもの」などという狭い視野から御説を述べるなどということは、まったく知らないで、GHOにかかわる世界のひきこもりの話をしたのである。

 

2人目の大学の先生も、部分的には良いことを言っていると思うが、いかにせん、いかにせん視野が狭く、世界的なひきこもり現象にあてはめるのには無理がある。

 

私としてはその意図はなかったのだが、今回の朝日新聞での掲載は、図らずも

「ひきこもりという現象に関しては、専門家よりも当事者の方がよく知っている」

という私がいつも申し上げていることを裏づける結果となってしまった。

(いずれも太字強調は引用者)

 

「世間学」の権威の「名誉教授」とやらが、「ひきこもり(HIKIKOMORI)」の現場・当事者の実態を知らないで自分の知識=ステレオタイプでものを語っている滑稽さに是非注目してほしい。

これが「評論家」なんだよ。
恐るべきことにこんなでたらめ放言をしていてお金を稼いでいるんだよ。
そして発言や執筆に対して責任は一切取らないと来た。

あの「浪速のドナルド・トランプ」氏も評論家として「活躍」した

さて、「評論家」といえば私が一番忘れられない出来事がある。

10年以上前、テレビを見ていたら、のちの「浪速のドナルド・トランプ」氏が評論家(コメンテーター)として出演されていた。

そのとき、「発達障害持ちが傷害事件などを犯す」ことが話題になっていた。

彼は言った。

発達障害とかなんか『障がい』をアピールしているようだけどそれで免罪してもらおうなんて甘いんだよ」

同じ発達障害当事者である私は背筋が寒くなった。
「コンナコトヲ言ッテコイツハ飯ヲ食ッテイルンダ…」

のちに彼が大阪府知事に立候補したことを知ったときは生きた心地がしなかった。
「仮ニコイツガ当選シタラ、社会的マイノリティニトッテ絶対生キヅライ状況ニナルノデハナイカ…」

現実はまさにその通りとなった。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

誰もが「評論」できる現在、毒オトナたちは「評論家」として飯を食いたいんだろうなあ…

今は「ブログ」や「各種SNSでの発信」などで誰もが世の中を「評論」できるようになった。

かくいう私も兄姉ブログではNHKに対し「紅白歌合戦とかいう八百長歌謡ショー」などと「評論」しているし、本ブログでは「HIKIKOMORI」「社会的マイノリティ」について「評論」している。

それにしても、テレビなんかを見ていると思うのだが、普段から社会的マイノリティなどにマウンティングしている毒オトナたちは「評論家」にあこがれているんだろうなあ。
各種メディアで自分が思っていることをひけらかして飯を食いたいんだろうなあ。
そしてゆくゆくは「浪速のドナルド・トランプ」氏や「青山繁晴」氏などのように政治家になれるかもしれない。
まさに「マウンティングして気に入らない存在を踏んづける立場」に…

とにかく、私は「現場」や「当事者」のことを知らず自分の知っていることだけで世の中を語ろうとする「評論家」という存在が大嫌いだ。

それではまた。

追記

「評論家の愚劣さ」について、映画評論家を例に綴られたウェブ記事があったので紹介する。

theriver.jp

 

*1:もっとも食事は以前の記事で綴ったように世話人さんが作ってくださるが。