こんばんは。
今回は「毒オトナ社会の解きかた」第2回目。
先月発売された石川優実氏の新刊「もう空気なんて読まない」のレビューをする。
「もう空気なんて読まない」…石川優実氏が見てきた毒オトナ社会
一言でいうと、とても読み応えのある本だった。
以前に綴った「#KuToo」の本もそうだったが、今回も「毒オトナ社会の記録」として後世に受け継がれるべきだと思った。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
まず、巻頭には「ずっと空気を読んできた」と題し、「空気を読む=毒オトナ社会に適応する」ことに努めてきたことを綴っている。
そしてその結果…一部引用する。
空気を読むことに必死になっていたら、自分自身が空気のような存在になってしまった。ぼんやり、ふんわり、どこにいるのかもよくわからない。当時の自分のことを、今の私はそう思う。
こうしているうちに、私は自分に起こった性暴力にも気がつかずに生きてきてしまった。自分が嫌だと思っていることに、自分の心を殺すようなことに、自分が気がつくことができなかったのだ。(4ページ)
これは、「自分は毒オトナ社会に適応した結果、どんな理不尽、人権侵害も、「よくあること」「自分が悪いんだ」と思うようになってしまった」ともいえる。
「結婚」から、「人が作った当たり前」を疑う
第一章では、恋愛、セックス(性行為)について綴っている。
私が印象に残った一文をここで紹介。
付き合ったいる時も別れたあとも、私のなかでは「結婚するのが大人」という呪いはかなり根強くて、結婚もしていない子どもも産んでいない自分は未完成な人間なんだと思い込んでいた。結婚がゴール。ゴールにたどり着いていない私の人生は、道半ば。いつもそんな感覚を持っていた。(25ページ)
でも、結婚制度って人が作ったものだし、結婚をして子どもを産むことが「普通」みたいなのも、どこかで作られた「普通」なわけだ。(26ページ)
結婚だけではない、毒オトナ社会の各所で見られる「こうあるべきこと」や「伝統」はすべてが「どこかで作られ」ている。
こういうものは「ずれてしまった人たち」への抑圧につながる。
毒オトナ社会の抑圧に立ち向かうために。あるいは「おわりに」に綴られていた私に対する抑圧のセリフ
そして、「おわりに」ではこう綴っている。
自分のために、自分を大切に、自分勝手に生きることは、闘いだ。挑戦した人はきっとわかると思うが、めちゃくちゃ難しいのだ。ずっと空気を読んできた自分が自分を責め続ける。「本当にそれでいいと思ってんのか!」と。「そんなことしてたらみんなに嫌われるぞ!」と。「そんなことしてたらひとりぼっちになるぞ!」と。
それを振り払って、自分が自分らしくいることはすごく勇気がいる。(217ページ。大文字&太字化は引用者。)
- 「本当にそれでいいと思ってんのか!」
- 「そんなことしてたらみんなに嫌われるぞ!」
- 「そんなことしてたらひとりぼっちになるぞ!」
石川氏は「ずっと空気を読んできた自分」の言葉としてこれを綴っているが、私にとっては親や、周りの毒オトナたちから実際にぶつけられてきた言葉でもある。
私がネット通販で何かを購入すると、「何変なものを買うてんのや!そんなことしてたらいずれお金が足りなくなるで!」。
私が少しでも親や周りの毒オトナたちが期待することから逸脱すると、「そんなことしてたら、いずれそっぽを向かれるで!」
いずれも、「翻訳」すると「ネットでものを簡単に購入しているお前が気に食わない」「お前を見ていると俺がむかつく」ということでしかないのだが。
最後に
最後に、出版に当たっての謝辞の中で、石川氏はこう綴っている。
いつも一緒に闘ってくれているシスターのみなさん。一緒に怒ってくれるみなさん。本当にありがとう。私が私でいられるのは、みなさんのおかげです。これからもお互いに応援し合って支え合って、この社会にビシバシ怒っていきましょう。(220ページ)
「この社会」というのは、「毒オトナ社会」であり、イダヒロユキ(伊田広行)氏いうところの「主流秩序」であると私は解釈する。
こう綴っている石川氏は実際、「この社会≒毒オトナ社会」に苦しんでいる。
- 毒オトナ社会の住人達に、主にツイッターで誹謗や揶揄、そしてデマをばらまかれる。
- Youtube動画を投稿したら、これまた毒オトナ社会の住人達による誹謗、揶揄、悪ふざけコメントが殺到し、「低評価」クリック連打される。
- そして本著書の通販サイト、特にAmazonのレビューは石川氏のことが気に食わない毒オトナ社会の住人によって低評価レビューが投稿される。
本当に毒オトナ社会の住人達は「自分の考え」すらない。
「空気」によって作り出された「こいつを叩け」メッセージによって動いているように思える。そこには善悪の判断もない。それどころか「善悪という概念」すらない。
以前読んだ宮口幸治氏の「ケーキの切れない非行少年たち」の特徴とうり二つだ。
こういう連中に対し、昔は、
「『てんご』すんな馬鹿たれ!」
という言葉が飛んできたものだ。
ネット、特に匿名コミュニティは「てんご」への垣根を下げてしまった。
石川氏のみならず、「空気≒主流秩序≒毒オトナ社会」で「声」を上げる人たちへの誹謗、揶揄、悪ふざけに対して「てんごすんな馬鹿たれ!」の声を上げる必要があるのではないか。
そして、本シリーズ連載の目的でもあるのだが、こういう状況をもたらしている「毒オトナ社会」の仕組みを学ぶ必要がある。
本書は、そのための教材として秀逸だと思う。
本当はいろいろ書きたいのだが、とにかくありすぎて本書の「一部引用」が「転載」になってしまう可能性もあるので一番印象に残ったところだけを綴った。
もっと詳しくは本書を読んでほしい。実際に。
私事ですが…
あと、私事で恐縮だが、私は引っ越しをすることになった。
引っ越し先は隣の町の公営住宅。
ようやく当たったのだ。
引っ越し終了は年明けになる予定。
それではまた次回。