こんばんは。¡Buenas noches!
今回は毒オトナ社会の解きかたをお送りする。
今回は「押し黙る」がテーマ。
「押し黙る」ことが美徳とされるニッポン毒オトナ社会
本当に、この国ニッポンで生活していると、
「スナオになれ」
「わきまえろ」
などと言われて「押し黙る」ことを要求されることが多い。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
そして、この「押し黙る」ことがこの国ニッポンの「美徳」とまでされてしまっている。
シドニーオリンピックの柔道で…
私が「押し黙る美徳」を痛感したのは、西暦2000年に開催された「シドニーオリンピック」の男子柔道の決勝である。
日本代表vsフランス代表による決勝戦。
日本代表選手の技が決まったにもかかわらずなぜかポイントはフランス代表の側に。
テレビ中継の実況と解説がやや騒然とするも、試合はそのまま終了。
敗れたニッポン代表選手はこうつぶやいた。
「私が弱かったから負けた」
参考記事
いろいろ悔しさをぶつけたかったろうに何も言い訳をせず押し黙って結果を受け入れるその姿に「日本の美徳」「日本スゴイ」の声がこだました。
しかしこれ、今思えば日本の柔道業界がこぞって「スポーツ仲裁裁判所*1」に訴えるべき案件だったと思うのだが…
そして戦時性暴力においても…
そしてニッポンの「押し黙る美徳」は第二次世界大戦における「戦時性暴力」においてもみられる。
暗黒面に堕ちてしまった1990年代後半の「ゴーマニズム宣言」において、「戦時性暴力」を声高に叫ぶアジア周辺諸国の人たちと比べ、ニッポンのそれはひたすら押し黙っていることを作者は称賛し、
「凄い!日本女性を誇りに思う」
とまで言ってのけた。
それほどまでに、ニッポンにおいて「押し黙る」ことは「美徳」であり、「日本スゴイ」ネタの一つにまでなっている。
もっとも、戦時性暴力はニッポンにおいても沈黙を押し破る人たちが増えた。実際「ETV特集」でも終戦直後の満蒙開拓団のそれが放送された。
押し黙ったら、社会的マイノリティは殺されてしまう
しかし、この「押し黙る美徳」、はっきり言って私もそれに属する「社会的マイノリティ」たちにとっては地獄でしかない。
「押し黙る美徳」を持ち出して私たちを「押し黙らせに」来るからだ。
私の父親や周りの毒オトナたちもひたすら私を黙らせるように圧力を加えてきた。
こんな毒オトナ社会、いい加減に変わらなければならない。
次回に続く。