ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナ社会の解きかた(5)毒オトナ社会におけるテレビ~ステレオタイプ増幅装置、そして拷問具

こんばんは。一人暮らしももう2週間。

今回も毒オトナ社会の解きかたをお送りする。

毒オトナ社会におけるテレビ

さて、「毒オトナの条件」「毒オトナ社会の解きかた」を連載していて、たびたび問題にしているのが「テレビ*1のありかた」である。

はっきりいって、今のテレビは「人生を豊かにするための道具アイテム」にはなっていない。

ステレオタイプの増幅装置として

まず、現在のテレビは「ステレオタイプの増幅装置」になってしまっている。

お昼過ぎや夕方のテレビ番組はどのチャンネルも「報道バラエティ」ばかりになっている。

番組内では「コメンテーター」「論説委員(解説委員)」などがその日起こったニュースの「解説」をする。

この方々が醜いことこの上ない。

彼ら彼女らはしゃべりの声が大きく、かつ威圧的エラソーだ。

そしてその内容もじつにうすっぺらい。大体がステレオタイプに基づく表層をなぞったものでしかない。

  • たとえば「野党は仕事をしていない」
  • たとえば「共産党は暴力革命を企んでいる」
  • たとえば「デモ参加者は報酬カネをもらっている」

などなど…

はっきりいって、テレビを見ていて学べることなどほとんどない。

 

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

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私に対する拷問具として

もう一つ、私がテレビに対して嫌悪感を抱くのは、主に父親が私に対して「マンスプレイニング」をかましてくるための「拷問具」となっていることだ。

番組を見ていて、父親がおもむろに語ってくる。

「おい、ぶた猫。なんでこんな事件が起こっているのかお前にはわかるか?」

その後、父親は酒が入っているのも手伝っていろいろと矢継ぎ早に私に話してくる。

その様は先述の「コメンテーター」たちに引けを取らず威圧的エラソーだ。

「イヤ、ソレハマタチガウト思ウヨ?」と私が言おうものなら、

「なにぃ?お前には何がわかんねん?素人が偉そうに言うな!」

などとさらに威圧的エラソーになる。

そう父親がまくし立てているうちにテレビのほうはとうに次のニュースやコーナーに入ってしまっている。

 

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

 

公共施設でのテレビも嫌いだ…

あと、「拷問具としてのテレビ」のもう一つのケースとして、

公共施設でのテレビ

も挙げたい。

病院の待合室、市役所などのロビー、食堂など、不特定多数が集まるところで私の嫌いな番組がテレビに映っているとげんなりする。

特に病院の待合室ではいちいち外に行くわけにもいかないし…

一昔前の「室内で煙草をくゆらせる人たち」を避けることにも共通する。

最後に

とにかく、テレビは私が最も嫌いな存在の一つになっている。

現在の自宅でのテレビはNHKのほかには各種テレビゲーム、そしてXboxでのYoutubeの視聴に利用している。

ああ、本当に父親が見るテレビから離れてよかったと思う。

それではまた次回。

*1:特に断りがない限り、ここでいう「テレビ」は「地上波のテレビ放送」と同義。