こんばんは。¡Buenas noches!
今回も毒オトナ社会の解きかたをお送りする。
今回は「家族の絆」について綴る。
「家族の絆」がうざい!
このニッポン社会は本当に「絆」という言葉が大好きである。
特に「家族の絆」についてはほんとうに「うざい」くらいに叫ばれている。
たとえば、警察庁などは「オレオレ詐欺」「特殊詐欺」防止に「家族の絆」を強調している。
「ハ?ザケンジャネエヨ」と私は思うのだが…
そうでなくともうちの父親は、
「オレオレ詐欺、特殊詐欺に引っかかるのは当人の自業自得なんだよ!」
と口うるさく言うてるし。
仮に私が「特殊詐欺」に引っかかったとしても「お前が悪いんやろが!」などというにきまっている。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
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家族が機能不全になっている人たちはどうすれば…
このような「家族の絆」キャンペーンにおいて一番むかつくのは、
「家族が機能不全に陥っていたらどうしたらいいのか」
という視点がなさすぎること。
私の家族親戚の場合、本当にめちゃくちゃだ。
- 父親については以前から綴っている通り
- 父親の弟(私から見れば叔父)は借金まみれの末蒸発、ようやく無一文のまま発見されたそうだが…
- ほかの親戚に対しては完全に音信不通
この状況で、どうやって「家族の絆」で勝てばいいのだろうか…
社会の最低単位は「個人」ではないのか?
「家族の絆」がうざいのにはまだ理由がある。
憲法改正だ。
現在の政権与党の改正案では、
「ニッポン社会の基礎的単位は家族(世帯)である」*1
ということが盛り込まれている。
おいおい、社会の最低単位、基礎的単位は「個人」ではないのか?
家族のいない人はどうしたらいいの?
前回綴った「生活保護」についても、受給申請をしようとしたら機能不全家族であっても「扶養照会」などが行ったりするが、これも「社会の最低単位、基礎的単位が『家族』にある」ことからくる弊害だろう。
最後に。恥ずかしながら…
さて、「家族の絆」についていろいろ綴った。
とにかく「家族の絆」などというものは主流秩序、毒オトナ社会から「ずれてしまった」人たちを排除するための「論理」なのだろうと思う。
最後に、恥ずかしながら、「毒親」という新語が生まれるきっかけとなった本、
「毒になる親」
を今更になって初めて読んでいる。*2
現在半分くらい読み進めているが、私の父親に当てはまる点が非常に多い。
やはり私は「毒親育ち」だったんだ…
次回に続く。