ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナ社会の解きかた(9)「わたしは黙らない~性暴力をなくす30の視点」レビュー…「毒オトナ社会を変える30の視点」でもある

おばんです。¡Buenas noches!

今回は連載・毒オトナ社会の解きかたをお送りする。

先日読んだ「わたしは黙らない~性暴力をなくす30の視点」のレビューを綴る。

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こちらが今回紹介する本の表紙。イラストが素敵です。

 

「わたしは黙らない~性暴力をなくす30の視点」…これは「毒オトナ社会を変える30の視点」でもある

先日、同書を読み終えた。

性暴力の当事者や、支援者(団体)、ジャーナリストなどがそれぞれの視点で問題の背景、そしてたたかい方を綴っている。

たとえば、「スクールセクハラ」について綴られたパートでは、

スクールセクハラは、教師と生徒という上下関係のある中で行われる性暴力・性的な嫌がらせです。この問題に中立という立場はないのです。完全に被害者側に立たないとぶれてしまいます。教育委員会も学校も中立に立とうとしますが、おのずと身内をかばおうとする力の方が強くはたらいてしまうのです。(50ページ、太字・大文字強調は引用者。)

これはまさに、本ブログで綴った、

「当事者目線なき者は去れ」

とほぼ同義だ。

 

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

また、性暴力被害者へのバッシングについて綴られた章では、

どんなに注意していても、被害に遭ってしまうことがあります。そもそも、被害に遭わないように、24時間警戒して生活をすることは不可能です。被害に遭ったとしても、それは被害者の注意不足ではなく、加害者が悪いのです。けっして、被害者が警戒をしなかったから被害に遭ったのではありません。(66ページ、太字・大文字強調は引用者。)

これは、毒オトナ社会でよくみられる「当人を責める風潮」への指摘でもある。

 

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心の応急手当…まさに親にやってほしかったこと

中でも、「森田ゆり」氏が担当した章で綴られていた、

「心の応急手当」

と文言を見て、私は涙を流した。(本当の話です。)

子どもの身近な人がなるべく早くに心の応急手当をすることが、もっとも効果的な心身の治療です。父親から娘へなど家庭内性暴力の場合は特に、母親が娘の言葉を信じるか、父親の言葉を信じるか次第で、回復の大きな力になるか、あるいはトラウマの複雑化と悪化になるかが分かれます。

(中略)

「セラピストを探す前に、まずはあなたでなければできない大切なことがあります。それは娘を信じていることをしっかり伝えること。最も身近なあなたが、最強のヒーリングパワーを持っているのです」

初対面のセラピストの専門ケアよりも、母親や身近な人の温かい声かけや抱擁を子どもがどれだけ待っているか、それがどれだけ大きな回復の力を発揮するか。

逆の見方をするならば、母親や身近な人の理解が得られないならば、そのトラウマは悪化するということです。それは二次被害という言葉では軽すぎるほどの深刻なダメージです。(56~57ページ。太字・大文字強調は引用者。)

私が発達障害ゆえに、就労がうまくいかないことや、パワハラを受け続けることを繰り返していたとき、親は私を信じるどころか逆に、

  • 「障害に逃げるな。誰でも欠点はあるんや」
  • 「てめえがしっかりしないからそんな目に遭うんや」
  • 「なんで俺が発達障害の勉強会などに行かなくちゃならんの、アホらしい」

などとのたまって拒否した。

おかげで、私は「大佐」はじめ「初対面のセラピストの専門ケア」に頼るしかなかったし、各種福祉サービスの手続きも自分の力でやるしかなかった。

 

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親はことあるごとに、

「お前が何歳になっても俺たちはお前の親なんやで」

などと味方ヅラするが、

「お前が何歳になっても、たとえ独立別居しても俺たちはお前を支配してやる」

の間違いちゃうのかと思う。

毒オトナ社会を変えなければ、「当事者」「被害者」は救われない

本書を読み終わった今、やはり性暴力の問題も、

「毒オトナ社会」が根底にある

と思わざるを得ない。

毒オトナ社会を変えない限り、「当事者」「被害者」は救われないし、それどころか周りから「当人が悪い」と責め続けられるだろう。

こんな地獄みたいな世の中、もう終わりにしなくては。

本書はまさにそのヒントになるであろう。

次回に続く。