ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナ社会の解きかた(23)この30年、ずっと「改革」を言うてきた

こんにちは。¡Hola amigos!

今回も例によって「毒オトナ社会の解きかた」。

今回は「改革」という言葉について考える。

この30年、ずっと「改革」を言うてきた

私が政治や国会に興味を持ったのは1990年代後半。

このころは「細川首相8ヶ月、羽田首相3ヶ月、さて村山首相は何年続くか?」と言われていた。

当時私は高校生で、半ば不登校状態だったものの、社会のことについてもっと勉強したいと思うようになり少しずつ足を運ぶようになった。
現代社会の成績はトップクラスだったなあ。

90年代の改革~「政治改革」「規制改革」

90年代には「日本新党」が「政治改革」を標榜し、

がなされた。

しかし、結局この改革は何のためにおこなったのか全然わからない。

小選挙区制が導入されても選挙不正はなくならないし、「政党助成金政党交付金)」に至っては「共産党」以外の政党がまさに「税金依存の党運営」に陥っただけ。

また、90年代後半では「規制改革」も言われるようになった。

「村山首相」退陣後、「橋本首相」のころに喧伝されるようになった。

いわゆる「規制緩和」と同義だが、この根底にあったのは「公務員バッシング」。「公務員の利権のために市場競争が阻害されている」ということが「報道」されるようになった。

2000年代~「郵政民営化」「中央省庁改革」

2000年代は忘れもしない。

郵政民営化」「中央省庁改革」が進められたから。

このころは竹中平蔵が「支配者」として頭角を現していた。

彼の目論見は見事に成功、地域の郵便局は「アフラック」の代理店と化した。

中央省庁改革についてもはたして「厚生労働省」なんて一緒にする必要があったのかなあと疑問を抱いている。

2010年代~「身を切る改革」

2010年代の「改革」は大阪からの発信だった。

「ナニワのドナルド・トランプ」氏が設立した政党=「維新を名乗るナニワのトランピズム政党」が「お題目」として唱えたのが、
「身を切る改革」
だった。

 

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

 

「財政の無駄をなくし、必要とされるところに重点政策を集中させる」とのことだが、現在の大阪行政の「新型コロナウイルス」に対しての体たらくを見ればわかるように「本当に『身を切る改革』は実行されているのかなあ?むしろ私たちの身を切らされているのでは」と首をかしげる

2020年代~「政治改革」の一つの目的が成就しようとしている

さて、現在、2020年代

この30年の「改革」は、明らかに私たちの方を向いたものではなかった。
むしろ私たちを苦しめる方向に向いたものもあったりした。

今回の参議院議員通常選挙では、昨秋の衆議院議員総選挙同様に現在の政権与党と、「維新を名乗るナニワのトランピズム政党」が牛耳りそうな勢いである。

この状況は、先述した90年代の「政治改革」が一つの目的を成就しようとしているのではないかと思える。

それは「保守二大政党制」

小選挙区制の導入で政党の「淘汰」を図り、ニッポンの政治勢力を大きく二つに分けるというもくろみであった。

実際、「維新を名乗るナニワのトランピズム政党」は野党ヅラをしている。しかし彼らの言い分は「政権与党にカツを入れる」ということであり、政権与党の補完勢力でしかない。

でも、それでいいのだろう。これこそ「保守二大政党制」ではないだろうか。

しかしこれだけは言いたい。

この30年の「改革」は、私たちを幸せにしなかった。

次回に続く。