ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナ社会の解きかた(38)国賦人権…またまた面白い「命名」を見つけた

今回も「毒オトナしぐさの解きかた」。

最近知った毒オトナしぐさ・現象の「命名」について綴る。

 

国賦人権と天賦人権

日本国憲法では、前文に、
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
とあったり、また第九十七条には、
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」
とあるように、昔から勝ち取ってきた様々な権利、特に基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」として信託されたものとしている。

何人にも、国家権力や大企業大資産家にも侵されない権利、人権の考え方は「天賦人権」と言われる。

しかし、この国ニッポンでは、以前から本ブログで綴っているように、
「権利を享受したかったら義務を果たせ。具体的には納税者になれ」
「義務も果たしていないのに生活保護やら福祉サービスなんか受けるんじゃねえ」

という怒号が飛び交っている。

こういうのって日本国憲法が定めている権利のことではなく、鎌倉時代から続く「御恩と奉公」を「権利と義務」に当てはめているだけやないかということを過去に指摘した。

以下過去記事を紹介。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

 

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「国賦人権」というクリティカルな命名(ワード)を発見

そんな中、ネットサーフィンをしていたら、この「権利ほしけりゃ義務果たせ」という事象についてまさに「クリティカル」な記事があったので紹介したい。

gendai.media

序盤の一文を紹介。

実は、「人権」は万国共通の理念と思われがちだが、日本には欧米と異なる人権理念がある。明治の評論家山路愛山は、欧米とは異なる日本の人権があることを早くから指摘していた。経済学者の河上肇は日本の人権を天賦人権ではなく「国賦人権」だと言った。二人の言っていることは要するに、人権が国によって「恩寵」として与えられている、ということだ。(太文字・大文字強調は引用者)

これってまさに、「権利を享受したかったら義務を果たせ」「『オカミ』に対して声なんか上げず、黙ってオカミのために貢献をすれば報酬をくれる」といったことなのではないか。

くわしいことはリンク先の記事を読んでほしいが、「明治維新」後の新政府が欧米の文化や産業、統治システムは導入しつつ、同時に欧米から持ち込まれる人権思想は忌避するという態度が新時代になってもなお「御恩と奉公」の国民統治システムが続いていることにつながっているのではないか。

再びリンク先より引用。

見逃してならないことは、「平等」ではなく「平均」という用語が使われたことだ。言葉そのものが意味する通り、それは身分の平均と平準化を意味した。そこで謳われている自由は個を重んじる自由ではなく、階級からの自由であった。それは天皇において確保された道であり、天皇への忠誠において初めて保障されるので、たとえ自分の命を守るためであっても、天皇の名の下に発せられる命令に背き抵抗する自由は保障されない。もし抵抗する場合には人間と見なされない。(太字強調も原文ママ

まさに端的にいえば「御恩と奉公」のシステムそのものやね。
幕府から天皇に代わっただけの。

「天賦人権」を自ら捨てようとしているニッポン。本当にそれでいいのか

さて、現在の政権与党は「天賦人権」を採用している現憲法を変えたがっている。このことも以前のブログで綴った。

 

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

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むろん、「権利は義務を果たしたことへの恩賞である」という一文もかかれる予定である。

ほんとうに、それでいいのか。許していいのだろうか。

それにしても「国賦人権」という命名、これは言い得て妙だと思うわ。

次回に続く。