ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナ社会の解きかた(47)ニッポンで「SNS」というたら「Twitter」とほぼ同義

こんにちは。うつ症状は一向に良くなりません。

今回も「毒オトナ社会の解きかた」。

 

ニッポンで「SNS」というたら「Twitter」とほぼ同義

よくテレビなどで、

  • SNSで話題
  • SNSでよく取り上げられたニュース記事

といったことをよく言うようになった。

で、ここでいう「SNS」は「Twitterツイッター)」とほぼ同義なのよね。

ところで、私は今年になってTwitterのアカウントを消した。もう嫌になったからだ。

その理由は、「SNSTwitter」とされるニッポン社会とも通ずるものである。以下に列記する。

①自分の言葉を語らなくとも「語った」気にさせる「リツイート・引用ツイート」

Twitterにはほかのアカウントのツイートをそのまま自分のツイートにできる「リツイート」という機能がある。

これを使うとなんか自分もそのツイート主と「一心同体」になった気分が味わえる。

また、同様にほかのアカウントのツイートを「引用」し、自分の意見などを綴る「引用ツイート」もあるが、こちらはなにか「論破」した気分を味わえてしまう。

どちらもなんか「自分の言葉で語らない」卑怯な感じがする。

②醸し出される「すごい一体感」

で、①の機能で醸し出されるのが、
「すごい一体感」
である。

これが「MeToo」などのハッシュタグデモなどの形で社会変革につながることもあるが、こと「毒オトナ社会」ニッポンにおいてはいわゆる「インフルエンサー」の「犬笛」のもと誰か(たいていは社会的マイノリティやその「アライ」たち)を誹謗中傷するほうに走ってしまう。

はっきり言って疲れた

私は10年以上Twitterを利用してきたが、はっきり言ってこういう現象を見るにつけ疲れてしまった。

一方でテレビなどがTwitterの反応を気にするなど「情報インフラ」になっていて、アカウントを消した現在情報が得にくくなったのも事実である。

しかし、「民主化」でも起きない限り、私はTwitterを利用することはないだろう。

次回に続く。