こんにちは。うつ症状は相変わらずです。
今回も「与党も野党も茶番」。
前回に引き続き茶番政党の「しんぶん(新聞ではない)」について綴る。
あの「しんぶん」も「ファンサ(ファンサービス)」路線に行った
昨日(6月4日)更新された「マガジン9」の雨宮処凛コラム「雨宮処凛がゆく」に重要なことが述べられていた。
「分断」をキーワードにし、いわゆる「右派」はもちろん、「左派」も分断に囚われてはいないかという話。一部引用する。
同じ国に生きて同じことについて語っているのに、ひとつも重なりあうところがない。どこまで行っても決して混じり合うことのない平行線上にそれぞれがいて、互いを嫌悪し合っている構図。そのことに、気が遠くなったのだ。
リベラルがリベラルを糾弾し、フェミニストがフェミニストを糾弾するような光景があるかと思えば、右派の方の諍いは陰謀論やあらゆる人間関係が入り乱れ、もはや誰がどんなことで揉めているのか、その全貌をわかっている人さえいないのではないかというほどにカオス。
そのような「内輪揉め」や「左右の分断」は、結局は「政治クラスタ」以外からはカルトのように見える一一。それが令和7年の残念すぎる状況ではないだろうか。
「結局は『政治クラスタ』以外からはカルトのように見える」。これ、私が問題にしている「あの茶番政党」にも言えるのではないかと思った。
茶番政党が「我は革命政党」と言うのも「ファンサ」
本記事では重要なキーワードが登場する。
「ファンサ(ファンサービス)」
要は自分を支持してくれる人、信奉者が喜んでくれると思っておこなう行為。
再び引用。
例えば安倍元首相は国会で「日教組日教組」と茶化すように言い、左派はそれに激怒したわけだが、対談を通して、あれは安倍元首相の「ファンサ」(ファンサービス)だったことに改めて気付かされた。
「ファンサ」をしているのは安倍元首相だけではない。リベラル側だって十分にしていると思う。
例えば昨年の都知事選。蓮舫氏の応援にやってきた野党の国会議員らは、都政の話よりも与党批判や政権交代云々について熱く語っているように見えたが、それはまさに「ファンサ」ではなかったか。
そして、茶番政党が「我々はニッポン国を大もとから変える『革命政党』だ」と規定し、「我々の目指す『共産主義』は自由がとことん保障される社会だ」と一般市民から見れば「ドン引き」されるようなことを言うようになったのも同党信奉者に対する「ファンサ」なのだろうなあと思った。
あるいは「エコーチェンバーに閉じこもる」という宣言。
茶番政党の「しんぶん」が「代表・名誉代表の演説」中心になったのも「ファンサ」「エコーチェンバー」だと思えば頷ける
前回綴った茶番政党の「しんぶん」の論調がとにかく「代表・名誉代表氏が演説をしました。以下はその内容です」「党はこんな主張をしています。実現のために押し上げよう」というようなものばかりになったのも読者=信奉者向けの「ファンサ」であり「エコーチェンバー」なのだと思えば頷ける。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
それだけ、今ある読者、党員(信奉者)をつなぎとめるのに必死なのだろう。
しかし、私のようにその路線にドン引きして党をやめた、党を「推せない」と思った人もいることに気づこうとしないのが残念過ぎる。
私は本当に絶望している。「うつ」になった一因かもしれない。
そういえば私も雨宮さんも今は「れいわ新選組」推しなんだよなあ…
次回に続く。