おはようございます。今回も「与党も野党も茶番」。
本ブログで何度も紹介している「マガジン9」のコラム「雨宮処凛がゆく」から茶番政党、「リベラル」のことについて考える。
やっぱり茶番政党、そして「リベラル」は「親世代の価値観」として反発の対象に
こちらが今回紹介する記事。
この記事の後半にこう綴られている。
雑誌「世界(岩波書店)」での(以前、雨宮氏が対談されていた)伊藤昌亮氏の寄稿記事を援用する形で。
「そこで苦しんでいる人々を元気づけるためには、それに先立つ1960年代以降の、いわば『元気だった30年』のイメージを示す必要がある。そこで援用されたのが、製造業と中間層を中心とする昭和的な価値観だったのだろう。
その結果、同時に昭和的な家族観、つまり家父長制や性別役割分担、『お母さんや専業主婦』などの復権が訴えられることとなる。リベラル派はそれらを『戦前的なもの』として批判したが、しかし支持者にとってそれらはむしろ『昭和的』な、どこかノスタルジックなものであり、しかもネオリベラリズム批判の姿勢に裏打ちされた、どこか親身なものだったのではないだろうか」ここを読んで、深く深く納得した。
昭和になんて戻りたくないけれど、今の時代に苦しさや生きづらさを感じるほど、「昭和」は美化され、ノスタルジックな思いを喚起させるツールとなっている。
これはまさに藤井青銅氏が「『日本の伝統』という幻想」で綴っていた
「時代の遠交近攻」
そのものだなあ。
「時代の遠交近攻」という言葉を紹介した過去記事
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
「令和」時代の今、「昭和」というのはまさに「祖父母世代の価値観」、そして「リベラル」思想が根付いたとされる「平成(西暦でいえば1990年代~2010年代)」は「親世代の価値観」ということになる。
で、「親世代の価値観」については反発し、「祖父母世代の価値観」にはノスタルジーにも似たあこがれを抱くという現象。
そして、それはニッポンだけでなくアメリカはじめ世界的な現象らしい。
これを茶番政党は「反動」という。そこには「人類の進歩は不可逆」という思い上がりがある
こういう「祖父母世代の価値観」への世界的あこがれに対し、茶番政党は
「反動」
という言葉を用いて否定しようとしている。
茶番政党の根底には「弁証法を通じ、人類は進歩するのだ。そしてそれは不可逆であり必然なのだ」という思想がある。
茶番政党の言う「進歩」とは、
といったことである。
しかし悲しいことに、世界人類はそれほど「意識が高く」なく、むしろ「見たいものだけを見、信じたいものだけを信じる」存在だということが茶番政党にはわかっていない。
それどころか茶番政党自身も「見たいものだけを見、信じたいものだけを信じる」組織だということがばれている。
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「公認されない社会的マイノリティ」の話も
記事にはこういうのもあった。
ここで思い出すのは、伊藤氏が使ってきた「あいまいな弱者」という言葉。私はこの言葉で生活保護バッシングなどあらゆることが整理されたのだが、「あいまいな弱者」に対するのは、あいまいでない、つまり「わかりやすい」弱者ということになるだろう。
ちなみに多くの人が「社会的弱者」として想像するのは、高齢者や障害者、失業者や女性、LGBTQ、在日外国人などではないだろうか。そのような人たちに配慮が必要だということは、社会的にも合意が取れていると思う。
その一方で、現在は「真ん中」の人たちの多くが弱者性を持っている時代だ。非正規雇用だったり低賃金だったり貯金ゼロだったり望んでも家庭を持てなかったり。
しかし、名付けられていない彼らは「弱者」とは認められない。よって、どこからもなんの支援も受けられず、「自己責任で勝ち抜け」とばかりに放置されている。
(太文字・大文字強調は引用者。以下の引用も同じ)
「あいまいな弱者」というのはとどのつまり、私が本ブログで綴ってきた
「公認されない社会的マイノリティ(社会的弱者)」
にほかならない。
で、伊藤氏の寄稿を引用する形でこう続く。
「昨今のリベラル派はとりわけ多様性の視点から、マイノリティを苦しめている文化的な弱者性にばかり目を向け、彼らを苦しめている経済的な弱者性のことを気にかけているようには見えないからだ。
そうして『誰が弱者なのか』を一方的に決め、自分たちが守りたいものだけを守ろうとしているように見えるリベラル派の中に、彼らは強い権力性を見出し、さらにそこで守られている存在、すなわちマイノリティの中に『既得権益』を見て取る」
こちらの引用における「リベラル派」の「急先鋒」こそ私が散々本シリーズ連載で糾弾している「茶番政党」であることは十分わかるかと思う。
茶番政党は常々「自分たちの支持が伸びないのは『反共攻撃』が厳しいから」と喧伝しているが、今回躍進した「オレンジの政党」はじめ茶番政党が「反動ブロック」と指摘している政治勢力を支持している人たちは茶番政党の「自分たちだけが守りたいものだけを守る」「自分たちの見たいものだけを見、信じたいものだけを信じる」欺瞞性、「既得権益」を見抜いているのだ。「与党も野党も茶番」という形でね。
以前にも綴ったが、私自身は「公認された社会的マイノリティ」の末席を汚す者ゆえ「反動ブロック」にはくみすることはできないし、実際「死の危険」も感じる。
だが、茶番政党の体たらくも見ていて本ブログでいうところの「毒オトナ社会」の根は想像以上に深いこともわかった。
こうなったら、残す道は
「自分磨き」
しかないと思っている。
以前は「自分磨きだけでいいのか」という記事を綴ったが、もはや茶番政党の体たらくから毒オトナ社会を「おおもとから変える」ことなど不可能だし、自分たちは実に無力だと悟った今はこれしかないと思っている。
参考過去記事
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
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そのことは「プレカリさん」こと「プレカリアートさん」のブログにもコメントさせてもらった。
自分磨きはいわば「毒オトナ社会の中にあっても『自分という名の芯』を作る」こと。
そのためにはまず「自分が食える」ようにすることだ。
コメントにも綴ったが私は「ポリテクセンター」でビルメンテナンスを学び、「つみたてNISA」も嗜んでいる。
そして、今ある福祉支援制度をとことん利用する。
生きやすくするのももはや自分次第なのだから。
次回に続く。