おはようございます。今回も「与党も野党も茶番」。
今回は前々回に言及した「部落差別」について綴る。
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なお、茶番政党と「部落差別」については後日の本シリーズ連載で綴る予定。
与党も野党も茶番(73)なんと茶番政党の地方議員は「しんぶん(新聞ではない)」の押し売りをしていた - ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所
なぜ、部落差別と茶番政党について綴りたいと思ったのか。
それは、NHK大阪放送局が8月に放送したローカル特集を視聴したからだ。
www.web.nhk山根基世氏のナレーションによるこれを見て、「そういえば茶番政党は部落差別の問題にひたすら冷や水をぶっかけていたんだよなあ」ということを思い出した。
そのあと、SNS「Threads(スレッズ)」でこちらの画像の投稿を拝見し、「この本、ぜひ読んでみたい」と思ったから。

というわけで、書評に入ろう。
上川多実著「<寝た子>なんているの? 見えづらい部落差別と私の日常」評

著者・
両親は「部落解放同盟」の活動家でもあり、著者も若いころから同団体の青年部門の活動に携わるようになる。茶番政党にも似たような組織があるよなあ。
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そこで「仲間たち」に出会うとともに、「果たしてこんな活動ばかりでいいのだろうか」と悩むようにもなる。そこら辺を一部引用。
(前略)つまり、これはきっと実際に長官と何か内容のある対話をすることが目的なのではなく、「奨学生が長官に話をしに来ました。長官は彼らの話を聞きました」という「事実」を作ることが重要視されているのだ。なんだか利用されている感が半端ないが、それならば私はここに居るということで十分に役割を果たしていると言えるわけで、中身のあることを言えなくても大丈夫かもしれない。(P63~64)
ほかにも、青年組織の全国大会を「大人たちに牛耳られている」ことに対し異議を唱えたりもするが、ここはぜひ本書を読んでほしい。
ここら辺を読んで、私は「ほくほくおいも党」を思い出した。実際著者は「活動家2世」だし。
終盤に綴られたその心境を引用する。
部落解放運動に対して、私には愛憎ともいうべき複雑な感情がある。運動の意義をまったく無視した批判には成果を無視するなよと腹が立つし、かと言って運動の負の側面に触れずにベタ褒めされているのを見ると、それはそれで美化するなと腹が立つ。運動体の中で、そこでしかできないやり方で社会を変えようとしている人たちを否定する気はさらさらない。ただ、解放運動とは別にもっといろんな形の運動があっていいはずだし、何かひとつだけの大きな勢力があるよりも、小さくとも様々なやり方で社会を変えるという取り組みが存在していいはずだ。(P243)
茶番政党系と思しき教師に差別を否定される
本書前半の注目点として「茶番政党と部落差別」について綴られているところを紹介したい。学校の授業で担当教師に部落差別の存在を否定される話だ。
「部落差別に関しては、未だに解消されていないとは書いてあるけど、もう、今時こんなのないのです」
まさか「部落差別がもうない」なんて言われるとは思ってもみなかった私は、目の前で何が起きたのか、しばらく状況が呑み込めなかった。(後略)(P76)
「この間の授業で先生は部落差別はないって言ってたけど、あります。ちゃんと授業で扱ってください」
すると、先生はうんざりしたような表情を私に向けて言い放った。
「あのね、関西の方でっていうならまだわかるけど、この東京で部落差別があるなんて、あなたそんな嘘をつくんじゃないよ」(P77、大文字太文字強調は引用者。以下同じ)
そして、著者が自分が見聞きしてきたことを語って食い下がるも、
「でも、それはあなた自身の話じゃないでしょ。あなた自身が部落差別を直接受けたことがあるっていうの?ないんでしょ?人の話をもってきて、差別がありますなんて、嘘ついてるのと変わらないよ」(P78)
まるで「それはあなたの感想ですよね」と相手を全否定するのと変わらない態度の教師。
著者はこのことを両親に尋ねてみると…
「それはね、もしかしたら共産党系の組合の先生なのかもしれないね」
父が何を言っているのかわからない。
「解放同盟と共産党って、もともとは仲が良かったんだけど、ある時から対立してるのよ。そんで共産党の方は部落差別はもうないんだって主張をしてて、その先生の言い方からすると、共産党系の先生なのかなと思うんだけど」
「なんでそれだけの情報で共産党系の先生だって思うの?」
「あんたが通ってる高校って、式典の時に君が代も日の丸もないでしょ。あれって、たぶん組合が強いからなのよ。先生たちの組合。わかる?教職員組合っていうのがあってさ。式典で君が代・日の丸をやれって上から圧力があっても、組合の先生が強くて阻止してるんだと思うのね。その点ではいいんだけどさ、ただ、熱心に組合の活動をしてる先生って、共産党系の人が多いから、その先生もそういうタイプなのかもしれないなって」
「だとしてもさ、考え方が違いますね。で済む問題じゃないじゃん。実際にあるものをないって、私が嘘つきだって言われて、めっちゃ腹立つし、おかしいと思うから、ちゃんと抗議とかしたいよ」(P80)
ここら辺を読んで思い出したのだが、私の高校時代も卒業式は卒業生と在校生が向かい合わせに座り、君が代も日の丸もなかったんだよなあ。のちに東京と大阪に「のちのドナルド・トランプである」というべき知事が誕生し、君が代と日の丸が復活*1、式典も家父長制に基づくものになってしまったが。
さて、茶番政党に関する記述に話を戻す。
一九六五年、総理大臣の諮問機関である同和対策審議会が、同和(部落)問題の解決は国の責務であり、国民的課題であるとして、同和対策の特別措置法が必要だと答申を出した。これに基づき一九六九年から二〇〇二年にかけて同和対策事業が行われた。この答申を積極的に評価した部落解放同盟に対し、共産党は自民党政府の
欺瞞 であり融和政策だと批判。それまで協力関係にあった共産党と部落解放同盟は対立関係になっていった。共産党はそれ以降、部落解放同盟を行政と癒着し、同和事業を私物化して利権あさりをする集団だと非難し、部落差別に関しても、減少傾向にあり、部落問題はそのうち自然に解消するという立場をとっている。(P81)
この部分を読んでいると、ほんまに茶番政党はウソつきで罪作りだなあと思うんだよね。
「♪罪作り~罪作り~」って歌いたくなる。
今もある差別「マイクロアグレッション」「アウティング」「マジョリティ特権」
その後、著者は映画製作やウェブサイト作成などに携わり、さまざまな属性の社会的マイノリティたちと交流する。
交流の中で「いまだにある差別のカタチ」として、
- マイクロアグレッション
- アウティング
- マジョリティ特権
というものがあることを綴っている。
「マイクロアグレッション」は「差別している側が『差別をしている』という認識を持たずにする差別行為」を意味する。
時を同じくして、私は「マイクロアグレッション」という概念にも出会った。見えないくらい細かい形で生活の中に紛れ込んでいる差別や偏見のことを指し、加害者側は自分が差別をしていると認識していないことが多い。(後略)(P262)
「アウティング」は出自や性的指向・性自認などのマイノリティ属性を「公の場」で「バラす」こと。本書では「アイツラ*2」による著者も含む「活動家」のことや地域を「バラす」行為が当てはまる。
「マジョリティ特権」は「マイクロアグレッション」にも通ずるのだが、「マジョリティ属性が当たり前に享受しているものたちもまた『マジョリティゆえの特権』である」という概念。
(前略)困らなくて済んだり、気にすらしなくていい特権を”マジョリティ特権”って呼びます。不利益を被るのは少数であることが多いから、少数の人たちが声を上げてもなかなか社会は変わっていかない。つまり困らせているのは、困っていないからその問題の解決に動こうとしないマジョリティ側だ。(後略)(P185)
こういった概念に出会った時の著者の記述から、「命名」「言語化」は「エンパワーメントを促す」ことにつながるんだなあと私は感じた。
茶番政党よいい加減にしろ
さて、これを読み終わった後、やはり私は茶番政党への怒りがふつふつと沸き上がった。
「部落」の人権を半ば否定する茶番政党が、「人権」を振りかざしているという滑稽さにだ。
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茶番政党のあの態度がなければ、本書いうところの「アイツラ」のアウティング行為もなかったはずなのだ。「アイツラ」は、「ほら、もう部落差別なんて今はないんだから、別に該当地域や活動家たちのことを勝手にバラしても問題ないはずですよね(ニヤニヤ)」という考えであんなことをしているのだから。
とにかく、読んでいて同じ社会的マイノリティとして「五臓六腑にしみわたった」。
今回は以上。