こんにちは。ぽっちゃり猫が大好き、「ぶた猫ぶーにゃん」と申します。
本ブログの概要をこちらに綴ります。
続きを読むこんにちは。4月になりました。
今回も「与党も野党も茶番」。
今回は「維新を名乗るナニワのトランピズム政党」のことについて綴る。
先日、図書館で借りて読んだ本がある。
冨田宏治著「維新政治の本質(あけび書房)」。
増補版 維新政治の本質 組織化されたポピュリズムの虚像と実像 – あけび書房
一言でいえば、タイトル通り「本質」に8割がた迫っている良書だった。
著書冒頭で、本ブログでも取り上げた元フリーアナウンサー氏の「人工透析を受けている人は治療費全額自己負担。払えないなら死ね」発言を取り上げ、これに喝采を送る層への分析をおこなっている。
参考過去記事
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
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早速引用。
本書の冒頭になぜこの発言なのか。それは言うまでもなく、「人工透析患者を殺せ」というこのおぞましい発言こそが、維新政治の本質を何よりも雄弁に物語っているからです。(中略)いかなる人びとがどのような思いから、このような発言に喝采を送り、このようなおぞましい発言をする人物を公認候補として押し立てる「維新の会」なる勢力を支持するのでしょうか。そしてその背景には、維新政治が跋扈する大阪という街のどのような現実が横たわっているのでしょうか。本書の課題は、このような問いに答えながら、維新政治の本質に迫っていくためのささやかな試みにほかなりません。(P7)
そこに浮かび上がってくるのは、「格差に喘ぐ若年貧困層」などでは決してなく、税や社会保険料などの公的負担への負担感を重く感じつつ、それに見合う公的サービスの恩恵を受けられない不満と、自分たちとは逆に公的負担を負うこともなくもっぱら福祉、医療などの公的サービスの恩恵を受けている「貧乏人」や「年寄り」や「病人」への激しい怨嗟や憎悪に身を焦がす「勝ち組」・中堅サラリーマン層の姿にほかなりません。
彼らの思いを理念型的に描き出してみましょう。
彼らは、大阪都心のタワーマンションか郊外の戸建て住宅に暮らし、かなりの額の税金、社会保険料、介護保険料、年金などを負担しながら、医療、子育て、福祉などの公的サービスの恩恵を受ける機会は必ずしも多くありません。彼らは日頃からジョギング、アスレチック・ジムなどで体を鍛え、有機野菜や減塩レシピなど健康に留意した食生活を送っており、医療機関にお世話にならないよう自己管理を怠りません。ですから、飲酒や健康によくない食生活など自堕落な生活の果てに自己責任で病気になった「自業自得の人工透析患者」たちが、もっぱら自分たちの負担している健康保険によって保険診療を受け、実費負担を免れていることに強い不満と敵意、さらには怨嗟や憎悪すら抱いています。だいたい大阪の街の「地べた」にへばりつくように住んでいる、「年寄り」「病人」「貧乏人」は、税金も、社会保険料も、介護保険料も、年金もほとんど負担することなく、もっぱら彼らの負担した税金、保険料、年金をシロアリのように食いつぶしつづけています。さらにそれを管理する公務員たちも、高給をとるばかりか、さまざまな無駄遣いや不正を働きながら、労働組合運動まで行なって、この食いつぶしに加担しています。少子高齢化による医療、福祉への公的負担の激増により国や府の財政危機が進むなか、このままでは日本は滅びかねません。そうしたなか、「身を切る改革」と「官から民へ」のスローガンを掲げ、自己責任と市場原理主義にしたがって、閉塞した現在のシステムを打ち壊そうとしてくれている「維新の会」は、自分たちが希望を託せる唯一無二の改革勢力にほかならない、といったようなところでしょうか。(P8-9)
本当に素晴らしい分析である。
私が本ブログで「毒オトナ」と表現している層にも当てはまるものだ。
それにしても、党創立から十数年、もはや大阪府内を「牛耳る」レベルにまで来たナニワのトランピズム政党。
その原動力は何なのかについても本書は分析している。再び引用。
2015年11月30日付の産経新聞は、「維新」の地方議員たちが凄まじいまでの組織戦を展開していることを報じていました。大阪府下と近辺選出の国会議員、府会議員、市会議員、町村会議員、総勢百数十人(当時)が、1人1日600電話、300握手、10辻立ちのノルマを課せられ、幹部による抜き打ちの巡回点検などを通じて、ノルマ達成を日々強いられていたというのです。それは、ある所属議員が「ブラック政党ですわ」と自嘲気味にボヤくほどのものでした。(P29)
この600電話というものも、無差別に電話するというものではなく、支持者とのコミュニケーションが主だということも本書では綴られている。
わざわざ「掘り起こさ」なくても府議会、市町村議会での最大会派、そして国会議員で「ゼロうち*1」が出るんだからすごいわな。
こんなのに茶番政党がかなうわけなんてない。
この引用部分とともにナニワのトランピズム政党がすごいと思うのは街頭ポスターの数。
駅前や市街地の主要な店舗や一般住宅のあちこちに党のポスターが貼られているのだ。
このポスターの重要性に、「社会的マイノリティの代理人になってくれそうな政党」の中で気づいているのは「れいわ新選組」しかない。
「おしゃべり会」の終わりで山本太郎氏がいつも言うている、
「皆様のご自宅に『壁』『塀』はございませんか?ぜひ、『れいわ新選組』のポスターを貼ってほしいんですよ!」
と呼び掛けているのがそれである。
それにしても、最近の公営住宅、UR賃貸などでは規約改正で政党のポスターをベランダのフェンスに掲げられなくなったんだよなあ。
もう一つ、本書の評価点は「ナニワのトランピズム政党」および創始者「ナニワのドナルド・トランプ」をのちの「本家ドナルド・トランプ」などと関連付けているところにある。引用。
それにしても、トランプ米大統領の就任とその後の彼の振る舞いを目のあたりにして、多くの大阪府民・市民は奇妙な deja vu(=既視感)に捕らわれたことでしょう。「ナニワのドナルド・トランプ」氏のそれと瓜二つだったからです。(P110、個人名の一部は改変。)
関連過去記事
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そして、「ナニワのドナルド・トランプ」や本家ドナルド・トランプなどが拍手喝采を浴びる根底として、
「不寛容なポピュリズム(ポピュリスト)」
というキーワードを挙げている。
ポピュリストたちは、人びとの間にある「違い」をことさらに暴き立てます。そして、自分たちと違うものに対する憎悪と排斥の感情を煽り立て、敵を徹底的に叩くことで、喝采を浴び支持を集めようとします。これこそが彼らを「不寛容なポピュリスト」と呼ぶ所以です。
そこでは、自由や人権、個人の尊厳は、タテマエとして紙屑のように踏みにじられ、真実が語られるべきであるという道義すらゴミ箱に投げ入れられます。タテマエに依らず、フェイクやデマに満ちた言動で、敵を激しく攻撃する「本音で語るマッチョなリーダー」が跋扈することになるのです。
大阪における維新政治がトランプ大統領やル・ペン氏*2を先取りする「不寛容なポピュリズム」であったことは、もはや言うまでもないでしょう。(P111)
ぐうの音も出ないほど見事な分析である。
毒オトナ社会の「マウンティング」の理論でもある。
私がブログで綴り、そして動画でも説明したそれ。
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このように、8割がた「維新を名乗るナニワのトランピズム政党」のことについてうまく迫っている本書だが、一部「画竜点睛を欠く」点もある。
その一つは、「貧困層、下流社会の住人も積極的にナニワのトランピズム政党を支持している」という部分に迫っていない点だ。
私の父親がそうだ。本ブログにも散々綴っているが、はっきり言って「貧困層の住人」である。「日頃からジョギング、アスレチック・ジムなどで体を鍛え、有機野菜や減塩レシピなど健康に留意した食生活を送っており、医療機関にお世話にならないよう自己管理を怠りません」とは真逆で酒を飲み煙草もくゆらせ、身体を鍛えるようなこともしない自堕落な生活をしている。
そんな父親は積極的な「維新を名乗るナニワのトランピズム政党」の支持者である。「大阪都構想(笑)」も賛成していた。
本ブログではこの部分を「マウンティングの一種で、いわゆる『勝ち組政党』を支持することで『自分自身も勝ち組の一員なのだ。お前たち負け組、社会的弱者ではないんだぞ』という確認≒マウンティングをしている」と綴っているのだが(そして動画でも説明しているのだが)、著者の冨田氏の見解を知りたかったなあ。
参考過去記事
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毒オトナたちにとって「『OSAKA4区』になることによって暮らし向きがどうなるか」なんかどうでもよい。 自分たちの「敵」である「共産党、公務員、既得権益、抵抗勢力」が悔し涙を流すところを見て嘲笑いたいだけだから。
毒オトナの条件(53)「大阪都構想(笑)」改め「OSAKA4区構想」は、住民投票で可決されるだろう… - ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所
もう一つ「画竜点睛を欠く」点を挙げる。
それは4年前の「大阪都構想(笑)=OSAKA4区構想」住民投票で「オール大阪(反対派)」の底力については綴っておられるが、れいわ新選組・山本太郎氏のことについては触れていなかったこと。
山本太郎氏があのとき大阪市内を駆け巡り、「大阪都構想(笑)=OSAKA4区構想」はここがダメだとひたすら指摘することがなかったら、
99.99999999%住民投票を通っていただろう
ことは想像に難くないのに。
参考動画
本書では、選挙戦や「大阪都構想(笑)」などを通じ、「維新を名乗るナニワのトランピズム政党」を超える「選択肢=オルタナティブ」を作るにはどうしたらいいのかも綴っているが、残念ながら今や「オール大阪」「野党共闘」の機運はすでになく、逆に「与党も野党も茶番」というべき政党間の「内戦状態」になってしまっている。
その代表が茶番政党とれいわ新選組がお互いをディスったりすること。
この状況で一番高笑いしているだろうなあ、ナニワのトランピズム政党。
残念ながらこれからも大阪を牛耳り続け、あるいはニッポン国の主流政党にのし上がるだろう。
次回に続く。
こんにちは。今回は「与党も野党も茶番」。
今回は改めて、茶番政党の(表向き)新代表に就任した女性幹部について綴ろうと思う。
じつは、この新代表氏には私は直接お会いしたことがある。
このころはまだ茶番政党は「私たち社会的マイノリティの味方であり代理人」だと私自身信じて疑わなかったので、直接お会いできてとてもうれしかったなあ。
しかし、今年の茶番政党党大会で、新代表氏は党の方針と異なる発言をした党地方幹部兼県議会議員氏へのパワハラ発言(としか言いようのない発言)をかました。*1
参考過去記事
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
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なぜ、こんな行為に及んだのか。
それは、この新代表氏が、
党の長老幹部たち、そして長老幹部たちの背後にある「おじさん社会≒毒オトナ社会」の価値観への過剰適応
を披露しようとしたからだろう。
二十数年ぶりの新代表には就任したものの、最高幹部の席にはいまだに70代~80代の長老幹部が居座り続けている。
政権与党とおんなじだ。
その政権与党もたとえば「高市早苗」氏なんかが「家父長制の護持」「社会のアップデート拒絶」言動をして政権与党の価値観に恭順の意を示しているよね。
それと同じようなことが茶番政党の新代表氏のケースにも当てはまるのではないか。
それにしても、党大会でのこの酷い(としか言いようのない)発言に対し誰も「パワハラ」を指摘しないのは本当に末期症状と言わざるを得ない。
まあ指摘したら指摘したでその人もまた「公の場」でパワハラを披露されるからね。
とにかく、この茶番政党は「政権与党の糾弾」に対してはプロフェッショナル的なチカラを発揮するが「おじさん社会≒毒オトナ社会」を変える気などさらさらないということがよくわかった。
まさに、「与党も野党も茶番」。
次回に続く。
こんばんは。今回は久しぶりに落語でいうところの「まくら」から。
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今日、「北陸新幹線」が敦賀駅まで延伸したため、福井市に行くには否が応でも新幹線に乗り換えなくてはならなくなった。面倒くさいなあ。
特急サンダーバードは実質湖西線の特急になってしまって悲しいなあ…
さて、今回は久しぶりに「毒オトナ社会の解きかた」を綴る。
あの変なメガネをかけている「経済学者」いや「経『罪』学者」について綴る。
先日、ある「経済学者」氏がチューハイ飲料のCMに出演したところ、自身の「持論」の非人間性を指弾され降板したという話があった。
そもそも、俳優やお笑い芸人でもない、大学教員が企業CMに出演すること自体が本当に「ニッポン的」であり、なんでもかんでも「芸能人」扱いする弊害が噴出したといえる。
参考過去記事
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しかしこの「国際政治学者」氏を見ていて思うのは、
毒オトナの条件(50)毒オトナのモデルケース~「国際政治学者」の女性 - ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所
「学者」「弁護士や公認会計士などの『士業』」「ジャーナリスト」などがいずれも企業CMに出過ぎだろう…
ということだ。 まるでこれらが「芸能人」の延長上みたいに…
この方、肩書は「イェール大学『助教授』」というらしいが、実際は「助教*1」なんだって。
しかし、ニッポンのテレビ屋、マスコミ屋たちは現在は(公的肩書としては存在しない)「助教授*2」という名前を使って「権威付け」をした。
そして「若手のインテリ論客」として各マスコミ屋で「消費」される。
NHKまでもが「消費」した。
さらにはクイズ番組などバラエティ番組にも出演。ここまでくるともはや「芸人」である。
変なメガネまでかけるようになり、自分は特別な存在であることを隠そうとしていないところが本当に「毒オトナ社会」にふさわしい人間だなあとため息が漏れる。
さて、この「経済学者」、いや「経済芸人」、もっとはっきり言えば「経『罪』学者」は常々「優生思想」まがいの言説を各マスコミ屋を舞台に「拡散(インフルエンス)」させる。
NHKの番組では「ゾンビ企業」という言葉を使い「生産性に寄与しない企業は労働者もろとも取り潰すべき」というとったことを覚えている。
その中で一番衝撃なのはネット動画で発言した「高齢者は集団自決」だろう。
これは大体「ロスジェネ(就職氷河期世代)『論客』」たちの多くが陥った、
「俺たち若者~中年世代は損をしている。一方で高齢者、特に『団塊の世代』は『年功序列』『終身雇用』でのうのうと飯を食らい続けている」
という言説の延長上といえる。。
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その「経『罪」学者」氏であるが、われらが「山本太郎」氏がれいわ新選組のおしゃべり会で糾弾している。
とりあえずこの動画をご覧いただきたい。
また、昨日の参議院予算委員会でも「経『罪』学者」のことについて大臣その他に問いただしている。
こちらの参議院インターネット審議中継サイトの3月15日の審議、7時間過ぎたあたりからが山本氏の質疑である。こちらもご覧いただきたい。
YoutubeにUPもされている。
結局、「非効率」「ゾンビ」「生産性のない」存在を取り潰すような言説は結局差別と排除、そして虐殺につながりかねないということだ。
それは私はじめ「社会的マイノリティ」「社会不適応」の人なら肌で感じると思う。
さて、「経『罪』学者」のかけているメガネにも言及したが、私も変わったメガネの愛用者である。紹介する。
ゴーグルタイプのメガネである。
普通のメガネの「つる」を耳にかけると耳がかゆくなるのでこれにした。
私が買った時は普通の地味なデザインだったが、今はスポーツブランドとコラボしているんだなあ。
それではまた。
こんばんは。今回も「与党も野党も茶番」。
「ジャーナリズム」を謳っていた茶番政党の新聞について綴る。
さて、茶番政党の劣化、あるいは「宗教団体化」が止まらない。
この前、本シリーズ連載で「
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中北氏はいろんなメディアで茶番政党に対してまさに「叱咤激励」というべき論評を各メディアでやっている。
一例をここに示す。
ジェンダー平等への取り組みは評価できるし、献身的な党員や有権者のために地道に働く地方議員が多い。労働組合などの大衆団体もしっかりしている。優れた資源はあるのに、生かし切れていない。一般にはなかなか見えないが、実態は代々木(党本部)の専従活動家からなる官僚制が支配しており、その上に立つ党指導部は硬直的だ。このままだと高齢化とともに党がなくなってしまうという危機感を持ち、声を上げる党員が増えているのが救いだ。(大文字・太文字化は引用者)
ここら辺なんかまさにそのとおりであり、どんなに茶番政党側が言いつくろおうが一般市民の目線では「党指導部は硬直的」にしか見えないのである。
中北氏はまさに「茶番政党は『アップデート』が必要」とおっしゃっている。「松竹伸幸」氏もそうだが。
まあ、茶番政党にとってはこういう「耳に痛い言葉」はとても耐えがたいと見える。
中北氏のことを「事実に基づかない論評」などと「言いがかり」をつけてきた。
ところが、この間、中北氏は、第29回党大会を受けてのインタビューなどで、日本共産党が掲げた「市民と野党の共闘」について、「期待したが、全くの幻想だった」とのべ、「(野党共闘が行き詰まったのは)日米安保条約の廃棄や民主集中制といったコアを変えなかった」からだと断じ、「野党連合政権を目指すなら、日米安保の容認など大胆な政策の柔軟化が必要だ」、「党勢拡大を望むならば民主集中制を改めた方がいい」などとのべている(「東京新聞」web版・2月11日付など)。
“日米安保条約容認の党になれ”“民主集中制を放棄せよ”――つまるところこれが、中北氏が現在わが党に対して行っている主張である。
(大文字・太文字化は引用者。以下同じ)
この太文字なんか「わら人形論法」の典型で、「改めたほうがいい」がどうして「放棄」になるのか。
あと、
中北氏は、党大会の結語で「人格攻撃」「組織ぐるみのパワハラ」が行われたと断じるが、結語の内容は、それを読めば明白なように、発言者の「発言内容」にしぼって、その問題点に対して事実にもとづく冷静な批判を行ったものであって、発言者の人格を否定したり傷つけたりするハラスメントでは決してない。
これもね、実際の結語を見れば「発言内容にしぼっ」てなんかいないと一般市民からは思えないものだよ。
反共分裂主義によって野党共闘を破壊した大逆流と並べて、党の対応を批判するというのは、まったく節度を欠いた乱暴な発言というほかありません。
問題のこの政治的本質をまったく理解していないことに、発言者の大きな問題があるといわなければなりません。
発言者は、「除名というのは対話の拒否だ」と述べ、「包摂の論理を尊重することは、政党運営にも求められている」と述べました。しかし、対話を拒否したのは誰か、党を除名された元党員は、自分の意見を、一度として党の正規の会議で述べたことはなく、一度として正規のルールにのっとって党に意見を提出したこともない。党内での一切の対話の努力をしないまま、党外からいきなり党攻撃を開始したというのが事実です。ここでも発言者は、批判の矛先を百八十度間違えているといわなければなりません。
発言者とともに「除名された元党員」についても人格攻撃をしているよ。
ほんま、この茶番政党は「アップデート」をとことんまで拒絶するんだよね。
うちの父親とほんま同じやなあ。
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茶番政党から「事実に基づかない難癖」などと言われた中北氏。
同氏は当然反論を要求した。
しかし、茶番政党は逃げた。
その際の茶番政党側の「理由」がとにかく噴飯ものであった。
これに対し、小池氏は当時の訴えは「サンケイ新聞が多大な影響力と公共性を持っている一般新聞であることなどを踏まえて対抗措置を認めるように求めたという性格」と指摘。その上で「一般新聞とは全く異なる政党機関紙(赤旗)を同列に置いて反論掲載を求めるという議論は成り立たない」と主張した。
なぁ~にぃ~?言っちまったなぁ!!(クールポコ。風)
要は茶番政党の新聞は(「一般新聞」に求められるような)ジャーナリズムでもなんでもなく、政党のプロパガンダを垂れ流す媒体だと言っちまったわけだ。
ぶっちゃけ言えば「エホバの証人」の「目ざめよ!」「ものみの塔」、あるいは「顕正会」の「顕正新聞」。
政権与党を糾弾するという性格上、奇しくも「ジャーナリズム」を体現している「新聞」だと思っていたのになあ…
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「創価学会」の「聖教新聞」なんか同団体を批判する個人や団体、媒体を「座談会」コーナーであしざまに罵倒していることで有名だものね。
それにしても思うのは、茶番政党も自分たちのことに自信をお持ちなら堂々と「
これじゃあ昨秋死亡した「顕正会」の「
とにかく、この茶番政党は一生殻に閉じこもっとけと思うわ。
次回に続く。
こんばんは。今回も「与党も野党も茶番」。
この前、茶番政党関係者に誘われてある映画を見た。
戦前、非合法団体であった茶番政党に携わり、その後官憲の拷問に遭い24歳の若さで亡くなった「伊藤千代子」の生涯を描いた映画。
彼女が受けた拷問、そして非業の死はまぎれもなく「官憲≒支配勢力、主流秩序」によってもたらされたものであり、伊藤氏および当時の茶番政党はまさに「脱・主流秩序」を志向して闘ってきた人であり集団だということがよくわかる映画であった。
一方で、私自身はもう一つの感想も抱いた。
それはニッポンの主流秩序、「毒オトナ」たちが「KAMIKAZE」で死んだ人を持ち上げて「彼らがいたから今のニッポンがある」などと称賛するのと同じではないのかということだ。
「KAMIKAZE」。第二次世界大戦末期にわが国ニッポンの軍隊がとった航空機や人間魚雷「回天」、さらには潜水服をまとって機雷をぶつけるなど爆死を通じてダメージを与える作戦であり、世界の戦史上まれにみる恐ろしくおぞましい内容であることから、今でも自爆テロ事件のことを「KAMIKAZE」と表現される。
わが国ニッポンの主流秩序では連合国軍に恐怖を与えた「KAMIKAZE」のことをとても誇りに思っているようで、あの「差別主義者たちの政治団体」創設メンバーの「ベストセラー作家」氏もこれをテーマにした小説を綴っている。
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そして「KAMIKAZE」に誇りを持っている人たちは異口同音にこう言う。
「彼らがいたからこそ今のニッポンがある」
なんかこの映画を見ていて、私は「KAMIKAZE」を称賛する作品を見せられているような気分になった。
そんな尊い犠牲で守られたニッポン国も、そして茶番政党も、現在はひたすら愚行を繰り返していることはとても正視できない。
社会的マイノリティを差別・侮蔑してエンタメにするようになったニッポン国の「毒オトナ社会」。
「民主化」「アップデート」を拒絶し、「殉死」を美談に持ち上げて「我々は正しい、支配勢力は我々を恐れているのだ」とうそぶく茶番政党。
ほんま、人の命、尊い犠牲を愚弄しているとしか思えないわ。
次回に続く。
こんばんは。今回も「与党も野党も茶番」。
さて、この度、本シリーズ連載でもたびたび取り上げた、茶番政党から除名処分された「松竹伸幸」氏が茶番政党に対し提訴した。
記者会見の動画をここに紹介する。
これに対し、茶番政党は「結社の自由」を盾に松竹氏への排斥処分は正当であると言い訳を続けているが、残念ながらこれは茶番政党への「ブーメラン」と言わざるを得ない。
茶番政党の声明にはこうある。
そもそも、政党が「結社の自由」にもとづいて自律的な運営を行うことに対し、裁判所の審判権が及ばないことは、1988年12月20日の最高裁判決でも確認されていることであり、このような提訴は、憲法にてらしても成り立たないものである。
これってさあ、暴虐企業(いわゆるブラック企業)が不当解雇などを自己正当化する際の「論理」だよね。
企業の「自立的な運営」に対して不当解雇などを糾弾したりしてきたのは当の茶番政党ではなかったのか。
かつて「民主主義は工場の門前で立ちすくむ」というフレーズがあった。
不当解雇や労働基準法違反が跋扈するのはひとえに「職場に民主主義の精神がなさすぎるから」だということを指摘するフレーズ。
今回の茶番政党の声明は「不当解雇も企業の自立的な運営によるものであり、裁判権は及ばない」というとるようなものだ。
まさかそんな「論理」を自称「ニッポンに民主主義を常に求めてきた政党」である茶番政党が振りかざすとは思わなかったぜ。
まさに「民主主義は政党の門前で立ちすくむ」。
茶番政党はこれ以上「民主主義」を叫ばないでほしいと思う。
さて、今回の松竹氏の提訴は、茶番政党をめぐる「法論」でもある。
実際、今回の争点はまさに「民主主義は政党の門前で立ちすく」んでいいのかである。そこに穴をあけることを原告弁護団は企図している。
さあ、どうする茶番政党。
次回に続く。