ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

与党も野党も茶番(3)茶番政党は民主主義を守るべき存在のはず

おはようございます。

今回も「与党も野党も茶番」をお送りする。

 

茶番政党は民主主義を守るべき存在のはずだ

今回は古谷経衡著「シニア右翼」での記述から、「あの茶番政党」が大切にしてきたものは何なのかを考えたい。

fujinkoron.jp

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本書では、雑誌やテレビ、そしてYoutube動画などで「右翼思想」、ぶっちゃけいえば「差別思想」「排外思想」に感化されているのはシニア、つまり高齢者が多いと分析。
本ブログにも綴ったように私の父親もこの手の思想に感化されている一人だ。

そして、この手の思想に高齢者が感化されるようになった原因に、
戦後民主主義を自身の血肉にすることができなかったこと」
を挙げている。

具体的にいえば第二次世界大戦における自国の戦争責任をきちんと清算しなかったこと、そして日本国憲法の精神である「国民主権基本的人権の尊重・平和主義」を本書の表現でいえば「ただなんとなく、ふんわり」としか理解・受容しなかった、ということである。

「権利」「人権」を、
「義務を果たした人たちに『オカミ』から与えられる恩給」
だとのたまうのなんかまさにそうだわな。
参考過去記事

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

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あの茶番政党の構成員たちはまさに戦後民主主義を「血肉」にした稀有な存在だった

本書の終盤に、「右翼思想に感化されやすくなったシニア=高齢者たち」の中で、「稀有な存在」として「あの茶番政党=日本共産党の構成員」を挙げている。引用する。

(前略)日本共産党や傘下団体が主催する反戦・反政権集会に行くと、その参加者のほとんどがディープシニアで40代はぼちぼち、30代はほとんど見られない。まして20代の若者は1000人規模の集会であっても数える程度である。党員や支持者のシニア寡占は革新側でも凄まじいものがある。

 加齢したシニアがシニア右翼となるのであれば、革新側でもシニアが多いのはどういう訳だろうか。答えは簡単で、彼らは強力な戦後民主主義の護持者であり「ネット動画」による一撃を食らってもなお動じないほどの確固とした価値観を有しているからだ。(電子書籍dブック版89%地点*1

 戦後民主主義は未完であるが、それでも戦後日本人のなかのある部分に、その崇高な理念を検証・分析し、その結果ますます民主的自意識を確立させることの重要性を認識した人々は少なくない。そこまで強力な民主的自意識を成立させるには経験や知識の蓄積が必要で、一般的にそのためには長い時間がかかる。結果としてその時間経過が彼らの年齢をシニアにしただけであり「高齢者が古臭い左翼思想にしがみ付いている」のではない。長い経験が彼らを戦後民主主義の真の護持者に育てたのであり、革新の高齢化は原因ではなく結果にすぎないのである。

 しかし革新側の年齢構成が高齢のまま推移するのは、その下の世代に戦後民主主義の重要性を継承できていないからである。すでに述べた通りその理由は戦後民主主義が未完で終わっていることにある。戦後民主主義の足腰がさらに弱まってしまい、真の民主主義的意識がはぐくまれないからこそ、その下の世代にも意識の循環が生まれない。革新のシニア化は、ある時期まで辛うじて生きていた戦争の失敗と反省という原体験を継承した人々が、その支持の主役となりそのまま加齢した結果である。(同地点)

いや、まったくもってその通りなのであり、あの茶番政党=日本共産党はそれこそれいわ新選組言うところの「アメリカの犬」「資本家≒財界の犬」である政権与党と対峙し、民主主義とは何なのか、権利・人権とは何なのかを深く学び実践してきた存在なのだ。

最初は「ソビエト連邦の犬」として生まれ、日本国憲法に対しても反発、「日本人民共和国」にせよとまで言っていたが、その後のすったもんだを経て同憲法の精神を学び、「憲法を守れ」「人権を守れ」と自国民、特に社会的マイノリティの「代理人にして護持者」として一定の支持と議席を確保してきた。

その結実と、同党が目指す未来社会は「自由と民主主義の宣言」としてまとめられている。

「犬時代の遺物=民主集中制」に拘泥し、自らを滅ぼしにかかっている茶番政党

それなのにである。

あの茶番政党は愚かなことに、同党の改革を訴えた党幹部などを「党の規約を破り、民主集中制を否定した」などどして除名や除籍などの処分、まさに「粛清」を図っている。

民主集中制とは、規約によれば、

 第三条 党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主集中制を組織の原則とする。その基本は、つぎのとおりである。
 (一) 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
 (二) 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。
 (三) すべての指導機関は、選挙によってつくられる。
 (四) 党内に派閥・分派はつくらない。
 (五) 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

www.jcp.or.jp

ということなのだが、党は一枚岩でなければならない、と言いたいのである。
一応、「選挙」「民主的な手続き」によって方針などを決定はされているが、一般市民からはブラックボックスになっている。
ゆえに一般市民からは「民主主義を守れなどと言うてるのに党内が民主主義的ではないのは自己矛盾ではないか」などとみられるのである。

そもそも「民主集中制」は、現在の視点から見れば「犬時代の遺物」でしかないといえる。

私から見れば、それに拘泥して改革の声を潰す茶番政党は自らの歴史をもかなぐり捨てているようにしか見えない。
そんでもって「私たちは支配勢力から攻撃されている」と泣き叫んでいるのだ。

最近は、「民主集中制に対して異論を言うことは党への攻撃である」とまで言っている。

だから言われるんだよ、あんたらは宗教団体、それも宗教系カルトとおんなじだと。

あまりに滑稽すぎる。哀れすぎる。

民主主義の護持者、砦だったことを思い出せ。

これ以上、「茶番政党」と私に言わせないでくれ。

最後に動画をご紹介

今回も党改革を訴え、「粛清」され、現在は名誉回復を党に対して訴えている「松竹伸幸」氏の動画を紹介する。

www.youtube.com

*1:あいにくこちらの電子書籍ではページ数は表示されない。