ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

私と発達障害25 そしてついに心が折れる

おばんです~。

あれは私が「二●リ」で働いていた最中だったなあ。

東日本大震災

これでわが国の社会は完全に「HIKIKOMORI」状態に突入した。
テレビや雑誌では「やはり我が国はスゴイノダ」とか連呼するようになり、そしてNHKでは「絆」を強調し、ゲーム音楽上がりの作曲家が作ったあの曲が流れる。

原発も大破し、放射能も垂れ流しになったが、「実は放射能は体にいいのである」とかいう自称「科学者」などもあふれかえり、社会全体が現実を直視したくない、まさに「HIKIKOMORI当事者」の様相を見せていたのだ。

 私と発達障害25 そしてついに心が折れる

清掃作業はだいぶ慣れてきた。
トイレ掃除もスムーズにこなせるようになった。
少なくとも、与えられた業務はそつなくこなせるようになっていた。

しかし、お客様への応対はずっとストレスだった。
「無茶ぶり要求にもきちんと対応できなければならない」のがわが国のサービス業従事者に求められることなんだよなあ…
私はしみじみ思った。

ある日、お客様からいつものように商品のありかを聞かれた。
あいまいな言い方だったので、私はお客様の求めているものを想定して売り場に案内したが、お客様の求めるものは違っていた。

このとき、上司や同僚は運悪く席を外していた。

お客様はいら立ちをあらわにし、「もういいわい!」と怒鳴った。

私の頭の中で、何かがはじけた。

あの時と同じだ…出社拒否状態になる

私はバックヤードに駆け込み、泣きながら壁を蹴った。
壁に穴が開いた。こんなにもろいものとは思わなかった。

その時から、職場に行こうとすると足がすくんだ。

親にはきちんと仕事に行く振りをした。
しかし、仕事場には行けずしばらく時間をつぶしてから家に戻った。

あの時と同じだ。
高校時代、不登校時代によくやっていたことだ。
私は自嘲した。

そして退社へ…

そして、「出社拒否状態のままで居られては迷惑だ、やめてくれ」と上司に言われ、私は「二●リ」を退社した。

このとき、上司は「いざというときはジョブコーチが駆け付けてくれるんじゃなかったのか…」と嘆いていた。

私は思った。
ただ、ジョブコーチ支援で職場定着を図るだけでは不十分だ。
なにより自分自身への職場の理解がなければ長続きしない。

再び、私は半「HIKIKOMORI」となった。

次回に続きます。