おはようございます。¡Buenos dias!
今回も「毒オトナの条件」をお送りする。
この間、「安田浩一」氏の著書「ヘイトスピーチ~『愛国者』たちの憎悪と暴力」を読了した。
本ブログで綴っている「毒オトナ」たちの中でも一大勢力となっている「ネットウヨク(ネトウヨ)*1」について綴った本である。
「ヘイトスピーチ~『愛国者』たちの憎悪と暴力」を読んでいて思ったこと
この題名の「ヘイトスピーチ」、本当は「ヘイトクライム」のほうがしっくりくるかもしれない。
また、「愛国者=他民族、特にアジア周辺諸国への憎悪をまき散らす者」も、「毒オトナ」と読み替えたほうが私としてはしっくりくる。
本書で綴られている「ヘイトスピーチ」の恐怖は、なにも「民族」だけに及ぶものではないのだから。
私自身、似たような恐怖を味わっているから。
「ヘイトスピーチ」の恐怖は、「当事者」にしかわからない
本書冒頭で、「ヘイトスピーチ」のデモ現場を友人とともに目の当たりにしたときの、その友人とのやり取りが綴られている。
友人は、「ヘイトスピーチ」の攻撃対象とされていた属性を持った人=当事者であった。
「朝鮮人死ね」
「殺せ、殺せ」
「ゴキブリ朝鮮人を叩き出せ」
「朝鮮人は二足歩行するな」
「朝鮮人は呼吸するな。酸素がもったいない」
「コリアンタウンを殺菌するぞ」
「朝鮮人は生きているだけで公害だ」
(P16)
その後、著者は友人にこんな言葉をかけてしまう。
「まあ、よかったね、名指しで攻撃されること、なかったもんね」
(中略)
「個人攻撃されなくて、本当によかったよ」
(P17)
すかさず友人は反論する。怒りを込めて。
「なんで……」
(中略)
「なんで……よかったの? なにが……よかったの?」
(中略)
「私、ずっと攻撃されてたやん。『死ね』って言われてた。『殺してやる』って言われてた。『朝鮮人は追い出せ』って言われてた。あれ、全部、私のことやんか。私、ずっと攻撃されてた! いいことなんて、少しもなかった!」
(P18)
ここら辺を読んで、私自身もあることを思い出した。
ニンテンドー3DSの「すれちがいMii広場」で「糞NEET死ね」と「面と向かって*2」言われたことである。
当時、私は職探しをしていたころであった。
東京大学の「玄田有史」教授猊下様がこねくりだした「NEET」という言葉は「差別語・侮蔑語・憎悪ポルノ用語」としてすっかり定着した。
ちょうど引用文における「朝鮮人」のように。
思うのは、この手の「ヘイトスピーチ」の恐怖は「当事者」にしかわからない、ということだ。
「朝鮮人は殺せ」「糞NEETは死ね」といわれても、これらの属性に当てはまらない人はたいして恐怖を抱かないだろう。
しかし当事者はそれこそ「死の危険」を感じてしまうのである。
私自身もこれら差別語の存在を「遠い存在」だと思っていた。
とあるハイキングコースの樹木にわざわざ「被差別部落の当事者を侮蔑する言葉*3をペンキで書いた看板を打ち付ける」事件が起こったとき、「よほどの暇人だよなあ、こんなことをやってるの。他にやることはないのかなあ…」と軽く笑っていた。
しかし、「当事者」にとってみれば軽く笑う程度では済まないのである。
こういうことを「バラシて」「カテゴライズして」「侮蔑する」恐怖。
せめて、当事者ではない人は「想像力」くらいは膨らませたいものである。
「NEET」にも投げつけられた「侮蔑してやるくらいがちょうどいい」
本書を読んでいると、本当に「愛国者≒毒オトナ」たちが繰り出す差別・侮蔑行為の恐怖が伝わってくるのであるが、「なぜそんなことをするのか」と問うた毒オトナの一人がこう答えている。
「ちょっと言い過ぎると思えるくらいの言葉で、ちょうどいいんですよ。これまで日本に甘えてきたんだから、朝鮮人にちゃんと伝わるよう、あえて僕らは大声で叫んでいるんです」
(P35-36)
「ちょっと言い過ぎると思えるくらいの言葉」…
つまり差別語・侮蔑語をぶつけるくらいがちょうどいい。
これは「NEET」についても言われたことだよなあ。
以前、「NEETという言葉は侮蔑語、ネガティブなイメージのある言葉だから『レイブル=遅咲き』に言い換えよう」という動きがあったことを綴った。
sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp
しかし、このことを伝えたニュースに対する「ネットの反応」は「否定的」なものが多く、
- 言い換えだけで問題解決にはならない
- 「NEET」当事者には「恥」を知ってもらいたい
といったものが並んだ。
ニート - Wikipedia の「呼称変更への取り組み」を参照のこと。
この「『恥』を知ってもらいたい」というのが、まさにさきほどの「ちょっと言い過ぎると思えるくらいの言葉でちょうどいい」と重なったのである。
あからさまな差別が「市民権」を持ってしまった
それにしても、本書を読了して思うのは、
「あからさまな差別」が「市民権」を持つようになってしまった
ということである。
あるいは「自分たちとは違う、ネガティブでマイノリティな属性を持った人たちはいくら侮蔑しても構わないのだ」という風潮。
まさに毒オトナしぐさ。
「朝鮮人」「NEET」「HIKIKOMORI」…
これらを叩くことで「奴らは自分たちとは違う」と安堵する。
本当にくそくらえだと思うわ。
それではまた。