こんばんは。
今回はかなり重いテーマなので折りたたみます。
おととい、障がい者たちの支援施設で凄惨な大量殺人事件が起きた。
容疑者は元職員の「植松某」で、こんなことを供述しているという。
「障がい者なんかいなくなればいい」
「社会に必要とされない人間は安楽死させればいい」
私は、この供述を見聞して、「二条淳也師匠」のブログを思い出した。
いわゆる「障がい者」に負傷させられて師匠が憤慨しているという内容なのだが、けっこう挑発的な内容*1になっているのでコメント欄がやや「炎上」気味になっている。
それらコメントへの師匠の返信がまた面白い。
問題が起きると、人はどうしても「弱者」の側につきます。そのため、健常者の人権はいつもないがしろにされます。でも、健常者にも人権はあるんです。障害を持っている人はすぐに「それは差別だ!」と言いますが、実際は障害者が健常者を差別しているのではないですか? 私はこのような「健常者差別」こそが根深い問題だと思います。
はい、来ました、「健常者差別」。
よく、ヘイトクライムを趣味にしている方々*2がよく「日本人差別をなんとかしろ」とおっしゃるが、師匠もまたこの手の暗黒面に堕ちていることがよくわかると思う。
そして以前紹介した萱野稔人・雨宮処凛両氏も。
いわゆる「普段社会的弱者に寄り添っている人」も、こういう暗黒面が見え隠れしてしまうのだ。
今回の「植松某」のように「実行」には移さなくとも、「『公認された社会的弱者』の権利意識まじうざいわ~ぶっ殺してえ~」などと暗黒面を持っている人はかなり多いのではなかろうか。
また、二条師匠は「安楽死」も肯定している。
これを読んだら、「植松某の衆議院議長への手紙」にクリソツではないかと思うだろう。
案の定、この記事もコメント欄が「炎上」気味。
こういう言説の裏には、
「公認されない社会的弱者」
という問題が根底にあると思う。
二条師匠はじめ「HIKIKOMORI」はその代表だ。
「𧏚潰し」「寄生虫」「親のすねかじり」などと罵倒される一方で、「公認された社会的弱者」は「支援を惜しんではいけない」と至れり尽くせりの支援を受けている。
こういう構図を思い知ると、暗黒面に堕ちるのもさもありなんといえよう。
最後に、私の尊敬する藤田孝典氏のツイートを紹介する。
命の重たさに思いを馳せられない市民生活の苦しさや経済的な厳しさ、将来に対する不安を抱えている人が多い。社会福祉の対象が拡大するなかで、もはや特定の人々だけの人権や生活を擁護し続けることは困難な時代。多くの人を給付や支援対象にしたい。 https://t.co/0qXI5c76VH
— 藤田孝典 (@fujitatakanori) 2016年7月27日
本当は「公認された社会的弱者になろう」という主張は間違いなのかもしれない。
とにかく生活に困窮する事態になったらいろんな支援・給付が受けられる社会を構築すべき、と主張すべきなのかもしれない。
しかし、現行の福祉・支援制度ではやはり限界があるので、できることなら「公認された社会的弱者」を目指そうと私は言っている。
その際はやはり「脱・主流秩序」の思想を持つことが必要になってくる。
とにかく、今回の凄惨な事件は「公認された社会的弱者」への怨恨の根深さが露呈した事件と言えよう。
被害者への心からのご冥福をお祈りいたします。
そして事件の真相を一刻も早く明らかにするよう願う。
(追伸)
今回、二条師匠のブログを検索しようとしたら、私と同様に師匠のブログの感想を綴るブログに出逢った。
しかも外部リンク欄に弊ブログへのリンクもある。
有難うございますm(__)m