ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

やはり、「脱・主流秩序」に生きている人は違うなあ。

こんばんは。Buenas noches!!

前回、「五体不満足な人」は「主流秩序に媚びている」と綴った。
彼は常に強い側=主流秩序の側に媚び、「名誉健常者」というべきふるまいを続けていた。そんな人間を「バリバラ」で持ち上げる必要なんてあったのか、と綴ったのだ。
「名誉健常者」の構図については、以下のブログ記事がわかりやすいです。

ベンボー提督亭 : 名誉健常者

その、「五体不満足な人」と真逆の生き方をしているのが、私の師匠、「イダヒロユキ(伊田広行)」氏である。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

 実は、ツイッターを見てみたら雨宮処凛氏がイダヒロユキ師匠に会ってインタビューしました、というツイートがあり、その記事を読んでみた。*1

読んでいて、やはり師匠は違うなあ、と思ったわ。

私が魅かれるのは、やはり、安定した大学教員の道を棄て、「社会的弱者」「相対的貧困」に身を置くために「非常勤講師」の生き方をするという道を選んだこと。

記事の一部を引用。

「『宝くじ当たったの?』とか言われたこともあるんですが、学者してて、ええこと言うてええ授業してたら、ええことしてる気になってくる。パートタイマーの女性のこととか論文に書いて、組合に呼ばれて格差問題について講演したりしてたんだけど、そういう自分は男性で、正規教員で年収1000万円あって、講演でも『先生』と呼ばれて。しかも高い講演料貰って。そういうのに疑問を持ったんです」
 40代になったばかりの頃だった。
「40歳ぐらいの時に、残りの人生を考えたわけですよ。そうしたら60、70歳まで安泰の道が見えてるわけです。もう年収も下がりませんしね、そこそこやれるだろうと。でも、見えたところでもう面白くないし、不自由やなと思って」

労働・格差・ジェンダーの問題を「上から目線」で論ずる「先生」という立場にイダ師匠は我慢がならなかったわけだ。

そして、私が師匠に心酔している証としてよく使う「主流秩序」についても話されている。

「主流秩序とは、永遠の競争のしんどさを説明する言葉で、社会が見える眼鏡なんですよね。美についてだと、みんなが整形して美人になったとしても、その中でまた差がついていく。労働の問題だと、座席が10個しかなくて、正規雇用の椅子が6個で非正規雇用の椅子が4個。あなたが6個のほうに行ったら、誰かが4個のほうに行く。それをそのままにして正社員になって、自分は加担していないの? って問いですね。
 そういう、この社会で人間を序列化させて、競争に追い立てる装置が主流秩序という概念なんです。今の日本社会の集団催眠状態を、浮き彫りにするための装置というか。
 この主流秩序が生きづらい女性に役立つのは、『女子力を高めてキレイになってモテる』っていう『女子の幸せ』以外の道でいい、と思えるようになる視点です。フェミニズムでは、それを『ジェンダーフリー』と言います。主流秩序って、それに囚われてるあなたでいいの? っていう問いかけなんです。キレイになったり、モテたり、ええ人と結婚したり、ええ会社に入ったり、そういう序列の上昇の幸せ感でいいの? って」
 そんな主流秩序の背景にあるのは、資本主義のシステムだとイダ氏は指摘する。

より上の、支配できる階級に成り上がる。それでいいのかあんたの人生、というわけだ。前回綴った「五体不満足な人」はまさにここでいう主流秩序に囚われた人間の典型と言えよう。

そして、最後には雨宮氏のこの言葉で締めくくられている。

この日私は、主流秩序の囚われから解放されることを、「自分なりの幸せの尺度を見つけること」と定義づけたのだった。そっちのほうが、絶対楽しい。

なるほど、「自分なりの幸せの尺度を見つけること」か。
幸せの尺度、次回あたり、自分のそれを披露する予定。

それではまた。Adios amigos!!

*1:現在は消滅している。