ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

HIKIKOMORIはじめ「公認されない社会的弱者」は闘い続けなければならない。

こんばんは。Buenas noches!!

なかなか更新できず申し訳ない。

本当にHIKIKOMORIはじめ「公認されない社会的弱者」はどこまでも救われないと思う。
以前紹介した「すさまじいブログ」こと「ぼそっとプロジェクト」の「長男の放逐」パートを読了したが、「女親に虐待された男の子供であった自分(執筆者)はどこまでも救われない」一方で「男親に性的虐待を受けた女の子供だった人はちやほやされている」という「患者村」の実態を見ているとね…

このことを考えるとき、まだ作者が「暗黒面」に堕ちてしまう以前の「ゴーマニズム宣言」のエピソードを思い出す。

このとき、作者は「部落解放同盟」の方との対談で、

「差別というのは現代資本主義のシステムと不可分なのではないですか?」

と問うた。
そして、「差別をなくそうと思ったら、人類みな兄弟、トマス・モアの『ユートピア』みたいな世界になるのでは?」とも。

そうなんだよなあ…
この社会では安心して叩ける「対象」が常に必要なんだよね。
被差別部落とか、LGBT当事者とか、そしてHIKIKOMORIとか…
弊ブログの言う「憎悪ポルノの題材」が。
どうしても作れなくなったときは一部インテリがかってに新語を生み出してでも作る。
NEET」「SNEP」とかね。

で、部落解放同盟の方はこう返答した。

「確かに資本主義社会は勝者敗者を生み出すシステムである一方発展ももたらす。しかし理不尽な差別に対しては断固戦わねばならないと思っている」

…昔のことなので意訳で申し訳ないのだが…

このエピソードで作者はこう締めている。

「差別は無くならない。しかし、被差別者たちは闘うことを宿命づけられたエリートである。闘え、闘うことが重要なのだ」

本当に自分の記憶だけで申し訳ないが…

HIKIKOMORIはじめ、「公認されない社会的弱者」は、まさに被差別者の代表になっていると思う。
闘わなければ、「ごくつぶし」「犯罪者予備軍」という名のもとに永遠に叩かれ続けるだろう。

私も元HIKIKOMORI、「公認されない社会的弱者」として、今後とも闘い続けるつもりだ。

それでは。Adios amigos!!