ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナの条件・第18回「人類、皆障がい者なんやで」

おはようございます。暑さは一段落したようだけど、まだまだ湿度は高いから暑いことには変わりがない。
今夏はエアコンFULL解禁したし…

さて、今回はシリーズ連載「毒オトナの条件」の第18回。
この間父親に言われた言葉について綴る。

「人類、皆障がい者なんやで」

この間、父親にこんなことを言われた。

「人類、皆『障がい者』なんやからな」

最初、一瞬何を言っているのかわからなかったが、要はこういうことらしい。

「お前、障がい者障がい者とか言うてるけど、誰だって持っている『個性』みたいなもんやからこれを理由に弱音を吐いたり、いじけたらあかんねんで」

「障がいは個性」に触発されたか

この間、NHKハートネットTV「パラマニア」で、あるパラリンピアン(選手)が、

「自分は『障がい者』だと思っていない。一部の個性だと思っている」

と発言していた。

父親はこれに触発されたか。

しかし、「自分がそう思うこと」と「お前もこうあれ」と押し付けることは違う

しかしおかしい話だ。
パラリンピアンの場合は「自分自身をそう思っている」ということであり、父親は「だったらお前もこうあるべきだ」と押し付けているのである。

以前綴った「NHK発達障害特集で『伝説のクリーチャー』を持ち上げること」の弊害の類型だな。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

 「伝説のクリーチャーがこう言うてるんやから、お前もこういう生き方ができるはずや」と父親は言うてるわけだ。

世の中にはね、何をやっても(やらせても)うまくいかない*1人たちが多数存在する。
私自身もそうだ。
そして、そういう人たちは発達障害学習障害など、なんらかの「障がい」を抱えているケースも多い。

そういう人たちに対して「『障がい』なんて個性だから」と他人が説教することは何の励ましにもならないどころか当人をただただ傷つけるだけでしかないことは肝に銘じておくべきではないかと思う。

それではまた。

*1:あくまで「主流秩序」の概念の中での話である。