ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナの条件・第1回「人の悩み・苦しみを遮る」

こんにちは。¡Hola amigos!

本当に更新が滞って申し訳ない…

さて、今回からシリーズ連載「毒オトナの条件」を本格的に展開する。

第1回「人の悩み・苦しみを遮る」

あなたは、自分の悩みや苦しみを人に打ち明けようとしたときに、こんなことを言われたことはないか。
あるいは、人に悩みや苦しみを打ち明けられたとき、こんなことを言ってしまったことはないか。

  • 「お前の苦しみなぞ大したことはない。世の中にはもっと苦しい人がいるんだぞ」
  • 「夜空を見てみろ*1。お前の悩みなぞちっぽけなものだ」

要するに、いずれも「お前の悩みなど聞く耳を持たん」と遮っているわけだ。

なぜ遮るのか

私自身も親や周りの人からさんざんに言われた。
特に「うつ病抑うつ状態」で悩んでいたときに父親から上記の言葉を投げつけられたときは涙が出た。

なぜ、こういう人の悩み・苦しみを遮るような言動をするのか。

それは、単純に「面倒くさい」からだろう。
あるいは「うざい」。

別に「自分の悩みを解決してほしい」とは言っていない。
せめて「拒絶せずに共有してくれる」だけでもいい。

しかし、わが国ニッポンの「毒オトナ」たちはそういうことすらせずに先ほど掲げた言葉を投げつけて遮ってしまう。

そうすると、悩み・苦しみを抱えた当人はそれらを自分の「うち」に「ため込む」しか方法がなくなる。

「うち」に「ため込んだ」当人の悲劇

悩み・苦しみを「うち」に「ため込んだ」当人は、新たに抱え込んでしまった悩み・苦しみもまた「うち」に「ため込む」。
「外に出す」方法を毒オトナたちに封じられているのだから当然。

そして、「うち」に「ため込む」うちに、当人は自死など悲劇的な結末を迎えるようになる。

「なんで『サイン』に気付いてあげられなかった」?毒オトナどもが気づこうとしなかったんだろうが

「うち」に「ため込んだ」当人の悲劇。

よく「いじめ自殺」を取り上げたニュースなどで「自殺してしまう前に、周りのひとたちは『サイン』に気付くことはできなかったのだろうか」などという文言を見聞きする。

バカおっしゃい。
毒オトナども、おまえらが当人の悩み・苦しみを「真摯に」受け止めようとせず、上記のふざけた言葉で遮り気づこうともしなかったんだろうが。

「毒オトナ」のシステムに気づかなかったら、私自身も自死していただろうな…
死ななくてよかったが。というよりも死ぬ「度胸」もないのでこのシステムに気付くことができたわけだが。

次回に続きます。

*1:あるいは「高台からの遠景」「高い山」「アフリカの広大なサバンナ」などいろいろなパターンあり。