こんにちは。
今回は毒オトナの条件の第二回。
第2回「なんでもかんでもステレオタイプ」
以前、池上正樹氏のコラム「引きこもりするオトナたち」において、私が以前愛読していた高齢HIKIKOMORI、「二条淳也」師匠のことが紹介されたとき、「ヤフコメ」「まとめサイト」等において「結婚していてHIKIKOMORIか~?」「そんなのHIKIKOMORIではない」「ただの『ヒモ』だろ」など、
「HIKIKOMORI」に対するステレオタイプに満ちたコメントがあふれまくった。
また、これまた私の愛読ブログ「ぼそっとプロジェクト」においても、フランス人ジャーナリストの「ステレオタイプ丸出しの『HIKIKOMORI』観」に対して池井多氏が憤る様子が綴られていた。
ステレオタイプで考え、語ることはとても楽ちん
池井多氏のブログ記事に寄せたコメントでも綴ったが、
ステレオタイプでものを見、考え、語ることは本当に楽ちんかつ便利である。
- 「障がい者」といえば「車いす、あるいは白杖、盲導犬を使って外出している」
- 「HIKIKOMORI」といえば「一日中暗い部屋でネットゲームかネットサーフィン」
- 「NEET」といえば「『働いたら負けかなと思っている』などとぬかす世の中をなめ切ったDQN野郎」
こういった前提認識=ステレオタイプをもってすれば話題について行けるのはもちろん、他の方もたいていステレオタイプを共有しているので「話が合う」。
そしてこのようなステレオタイプの「生産拠点」は、
テレビや雑誌、新聞などのマスメディア。
ステレオタイプに苦しめられる私。これを崩すことは大変な困難を伴う
私自身、親含め周りのオトナたちからの「ステレオタイプ責め」には苦しめられた。
- 大卒だったらこれくらいわかるだろうに(大卒だからって何でも知っていると思わないでほしい…)
- (バイト先において)あんた、ケータイ使いこなせるんだから商品管理用の端末も使えるよね?(このとき私はケータイなんて使ったことがなかった)
- で、「ワカラナイ」などと返すと「そんなこともわからないのか!」などと罵倒と侮蔑が飛んでくる…
こういったステレオタイプは、オトナたち自身に「想像力」が無い限り崩す(認識を改めてもらう)ことは大変な困難を伴う。
HIKIKOMORIもそうなのだが、ステレオタイプにさいなまれている人たちは「スパルタクスの反乱」並の抵抗運動でもやらないととてもきつい…
次回はステレオタイプがもたらす最大の悲劇について綴ろうと思う。