ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

私と「共産党」⑤暗黒時代の始まり

こんにちは。¡Hola amigos!

今回もシリーズ連載「私と『共産党』」を綴る。

それにしても、参議院議員選挙戦が始まってから、「山本太郎」氏は吠えまくってるなあ。まさに「山本節」。

こちらの政見放送において、「代理人」という言葉を使っておられることになんかうれしくなったなあ。

www.youtube.comこちらの動画の7分15秒あたりから。

残念ながら、今の国会での多数派は、経団連など特定の存在に忖度し続ける代理人がほとんど。

私は、700人いる国会議員が、700通りの当事者がそろう場所になればもっと優しい社会が作れると思います。

 いやあ、本当にそう思う。
今の国会の多数派は政権与党や「浪速のトランピズム」といった、
「毒オトナの代理人
に占められてしまっているからなあ…

たとえば「最低賃金」という「法律」の話をしようとすると、毒オトナたちが
「努力もしていないのに最低賃金を上げるって(笑)」
と「努力」の問題にすり替えたりするし…

 参考記事

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

暗黒時代の始まり

連載本文に入る前に、もう一つ山本氏が立ち上げた新党「れいわ新選組」の動画を見てもらいたい。

www.youtube.comこの動画の6分10秒あたりに、
「くそ左翼死ね!!」
の罵声が飛んでくる。
これに対する山本氏の「返答」はぜひ動画を見てほしい。

ということで…

西暦2000年代、21世紀に入り、「共産党」はまさに
「くそ左翼死ね!!」
と罵られる存在になった。

2000年代初頭、政権与党に「郵政民営化」「米百俵」を掲げる内閣総理大臣が登場。
日本国内の政治ニュースは完全に内閣総理大臣周辺、そして政権与党のそれに占められてしまう。

むろん、「共産党」は常に「わたしたちの『代理人』」として奮闘はしてくれていたのだが、なかなか正当な評価がされず、国会も地方議会ものきなみ議席を減らした。

特に国会では、2005年の衆議院議員総選挙において9議席、2007年の参議院議員通常選挙において7議席しか取れず、個人名で投票する選挙区選挙では全く当選しない状態になった。

また、インターネットでは政権与党を礼賛するものが多く見られた。*1

こんな状況で、「共産党」が伸びる余地はなかったといってよい。

まさに「くそ左翼死ね」、「共産党」の暗黒時代であった。

次回に続く。

*1:特に郵政民営化に対しては賛成派を応援し、「共産党」含む反対派に対して侮蔑する掲示板サイト投稿やブログが多かった。

私と「共産党」④「民青」から離れて…

こんにちは。¡Hola amigos!

今回も連載「私と『共産党』」の続き。

「民青」から離れて…

共産党」と関係が深い組織「民青」の「大学班」に入っていた私。

当時班長をしていた教育学部の女性は元気かなあ…

就職氷河期真っ只中で、彼女もなかなか働き口が見つからなかったんだよね。
教員採用試験も当時は本当に「狭き門」だったし。

大学を卒業して…

さて、私自身、就職(所属)先が決まらないまま大学を卒業した。

大学を卒業し、「大学班」のメンバーではなくなった。

と同時に、「民青」からも疎遠になった。

そして私はHIKIKOMORIになった…

次回に続く。

私と「共産党」③出所不明のビラ

こんにちは。¡Hola amigos!

参院選の地元大阪選挙区、政権与党の2党と「維新」を自称する浪速のトランピズム政党が優位なんだそうだ。
ほんま、政権与党もそうだが浪速のトランピズム政党は毒オトナの「こころ」をつかんでいるように思うわ。

さて、今回はシリーズ連載「私と『共産党』」の第3回。

出所不明のビラ

大学内の「民青」で他メンバーとともに政治談議に花を咲かせていた私。

このころの政権与党の内閣総理大臣は「神の国」発言をかましたり、いろいろと失言をすることで多方面から批判されていた。

ついには政権与党の幹部が野党提出の「内閣不信任案」に賛同する姿勢を見せ、別の幹部から「あんたは大将なんだから」と断念させようとする一幕もあった。

加藤の乱 - Wikipedia

この一幕のあと、衆議院は解散され、総選挙が開催された。

その選挙期間中、自宅ポストには変な内容のビラが多数投函されるようになった。

共産党」への中傷

そのビラには、おおむねこんな内容が綴られていた。

などなど…

いずれも、「そんな馬鹿な」というべき荒唐無稽な内容だったのだが、やけにデザインや紙質がよく、「ディスカス」「日本の民主主義を考える国民会議」などもっともらしい団体名が綴られていたが住所・連絡先などの記述はない。

 これらのビラが功を奏したのか、この総選挙で「共産党」は議席を減らした。
それでも26議席から20議席と「微減」だった。

しかし、これが「共産党」の暗黒時代の始まりとなった…

次回に続きます。

*1:「人民共和国」とまではいわずとも、私自身は「共和国」の方がいいと思っている。

私と「共産党」②「民青」への加入

こんばんは。¡Buenas noches!

この夏は昼間は順当に暑いものの、深夜になるととても涼しい。
ここ10年の夏は夜になっても暑いのが多いからなあ…
こういう形がちょうどいいのだが…

さて、今回は前回に引き続きシリーズ連載・私と「共産党」の2回目。

「民青」への加入

このとき、私は大学生だった。
大学の地元で「煙草嫌いたちの集まり」があり、私もちょくちょく集会に参加していた。

その集まりのメンバーの一人、学校教師をしている方から「お誘い」があった。

「あんたさあ、『煙草が嫌い』というだけでなく、いろいろな社会問題にも興味を持っているみたいだね。だったらいい所を紹介するよ。」

そのとき紹介されたのが「民青」だった。

「民青」は聞いたことがある。
前回綴った「しんぶん赤旗」の若者向けコーナーに「民青」の名前がよく出ていた。

別学部の学生が多かった大学の「民青」

私が通っていた大学の「民青」の「班*1」。

集会をしているところは別学部の「教育学部」の校舎内にあった。*2

また、所属している「同盟員」も、教育学部中心に別学部所属の人が多かった。

堂々と政治論議ができる

私が「民青」に加盟して、一番感動したのは、
「堂々と政治論議ができる」
ということだった。

なにせ、わが国ニッポンでは、
「政治と宗教と野球の話はタブー*3
といわれているし、父親から「これらの話題は絶対にするな」と厳しく躾けられた。

それがここでは堂々とできる。

なにしろ、私が経済学部に入ったのも、政治、そしてその根源ともいえる経済についてもっと勉強したいと思ったからだ。
話が弾まないわけがない。

私が大学の「班」に入ったことは、大学生活屈指のいい思い出である。

次回に続く。

*1:「民青」では、地域や学校などの単位で「班」というものが存在する。

*2:私は経済学部所属だった。こちらの過去記事参照。

*3:野球というのがなんとも言えん…本当に日本は野球が好きなんだよなあ…姉妹ブログに綴ったように「高校野球」が「リーガエスパニョーラ」並みの扱いでマスコミが取り上げるし…

新シリーズ連載・私と「共産党」①「しんぶん赤旗」

こんばんは。

今日は参議院議員選挙の公示日。

今回から以前綴った「新シリーズ連載」を開始したい。

題して「私と『共産党』」。

しんぶん赤旗

私が「共産党」の存在を意識するようになったのは高校生のころ。

父親が毎週日曜日、「スポーツを僭称するオヤジ系新聞」とは別の新聞を読んでいるのをよく見かけた。

その新聞が、「日本共産党中央機関紙・赤旗」、現在の「しんぶん赤旗」の日曜版であった。

はっきりとした立ち位置の論調

いわゆる「政党機関紙」であるがゆえ、一般的な新聞の「よく言えば中立、悪く言えばただ上っ面をなぞっているだけ」の論調とは違い、「政権与党のやろうとしていること、いったい何が問題なのか、批判されるべきなのか」がはっきりと示されていることが私の目を惹いた。

またスポーツコラムも面白く、選手・チームの魅力に迫るだけでなく、スポーツ界にはびこる問題についても鋭く迫るものもあって読みごたえがあった。*1
昨年亡くなられた、「衣笠祥雄」氏のコラム「フルスイング」もこのころから連載がスタートしたんだっけ。

赤旗」が綴るはっきりとした立ち位置の論調。
ここが、私の「共産党」の存在に触れるきっかけとなった。

続きは次回。

*1:中でも一番印象に残っているのが、ある女子プロレスラーの試合中での事故死について綴った記事。この中では「繰り出す技やパフォーマンスの過激化」が問題視されていたのだが、これは女子プロレスだけでなくスポーツ界全体の問題ではないかと思った。たとえば体操競技はもはやサーカスかと見まがう演技が当たり前になったし、フィギュアスケートも当時はトリプルアクセルなど3回転ジャンプが飛べると「すげー」となっていたのが今では男女ともに4回転が飛べて当たり前、といった状況になっている。

小売店の価格表示、コロコロ変えられると困るのよね…

こんばんは。¡Buenas noches!

今日で6月も終わり。
ちょうど2019年も半年が経過したことになる。

さて、今月、私がよく利用するスーパーマーケットの価格表示が、

  • 「本体価格(税込み価格)」と、両方の価格を併記

から、

  • 「本体価格+税」と、本体価格のみを表示

に変更された。

参考記事

www.jiji.com

ほかにも、「税込み価格の総額表示」から、「本体価格+税」と、まるっきり違う価格表示にするところもあった。

この動きは5年前の消費税8%増税あたりから多くなった。
5%のころはどの小売店も「税込み価格の総額表示」だったのだが…

それにしても、消費税増税・税率変更のたびに小売店の価格表示がコロコロ変えられると困るのよね…発達障害持ち的にさあ。

一応、こういう「本体価格のみ表示」は特例的に2021年まで、となっているがどうなるのか…

とにかく、どういう形でもいいからさあ、法的に統一してほしい…

それでは。

就職氷河期戦線異状あり・番外編④なぜ、「起業家(企業家)」たちは社会的弱者に冷酷なのか

おはようございます。

今回も私がツイッタータイムラインで見たツイートを紹介して始めたいと思う。

https://twitter.com/peureka/status/1141712268419166208

 このツイートに私は唸り、このような形で引用ツイートをした。

 

 なぜ、「起業家(企業家)」たちは社会的弱者に冷酷なのか

今年初めの「ZOZO*1」問題とかホリエモンの「税金泥棒」発言とか、30代~40代の「起業家(企業家)」たちはなにかと他人、特に社会的弱者に対して冷酷な態度を取り、馬鹿にする。

なぜ彼ら彼女らがこんな態度をとるのか。
それを解くキーワードはやはり、
「2000年代就職氷河期
ではないかと思う。

「自分で仕事を作り出せ」と突き放される

以前の「就職氷河期戦線異状あり」連載記事にも綴ったが、「2000年代就職氷河期」の世代は各種マスコミ屋、そして内閣総理大臣から、
「企業で雇用されることを期待せず、自分で仕事を作り出せ」
と突き放された。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

当然、自分で事業を興す以上はだれにも頼ることはできない。
そして以前の記事にも綴ったように事業が成功するのは「運と縁」に恵まれたほんの一握り。

だれにも頼れず、「一握り」に入るために熾烈な競争を潜り抜けた「起業家(企業家)」たち。

そんな人たちが「頼れるのは己のみ」と思い、そして「他人に頼らざるを得ない」社会的弱者たちのことを馬鹿にするのはある意味自然といえる。

やはり、「脱・主流秩序」の考えが必要

現在の政権与党は「就職氷河期世代の救済」を掲げている。
それも「人生再設計第一世代」などと称して。

maga9.jpしかし、この政策で救済が「成功」するのもまた一握り、競争率は高いと思われる。

だったら、いっそのこと、以前から綴っているように、
「脱・主流秩序」を目指すべき
ではないかと私は思う。

「脱・主流秩序」の精神を持つことで、たとえ「成功者」になれたとしても、社会的弱者に対してやさしくなれると思う。

それにしても、「ナナロク世代*2」なんてよく言われたよなあ…「2000年代就職氷河期」の起業家(企業家)ってさあ。

そんじゃまた。

*1:前澤友作代表は私より2歳年上である。

*2:1976年前後生まれの起業家たちを指す。先述の前澤氏や「はてな」創業者もその一人。