ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

「毒親の条件」第3回「おまえの味方は自分しかいない、と子どもに刷り込む」

おはようございます。
週末も暑かったわ…関東地方はようやく今週晴れそうで長雨から解放されそうだけど。

第3回「お前の味方は自分しかいない、と子どもに刷り込む」

本シリーズ連載で、父親のことを「毒親」などとこきおろしているが、はっきりいって父親に対しては複雑な心境を抱いている。
このことについては後日詳しいことを綴るつもりだ。

「校庭に東風吹いて」のワンシーン

昨年見た映画「校庭に東風吹いて」は、「場面緘黙症」を抱えた女子生徒と、彼女の力になりたいと奮闘する担任の教師を中心とする物語だが、女子生徒の母親が毒親予備軍」としてふるまっていたのが印象的だった。

「何かありましたら先生も力になりますから」と担任の教師が言っても「先生に娘の何がわかるのか」と一蹴したり、中でも女子生徒本人に対して「あなたのことを一番理解しているのは母親である私なんだからね」と刷り込もうとしていたのは「ああ、これは毒親になりますわ…」と思ってしまった。

映画についての具体的な感想はこちらの過去記事を。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

私も父親からさんざん言われた…

「お前のことを一番理解しているのは親である私だ」「親以外に味方なんていないんだからな」…

私も、父親からさんざんこのようなセリフを聞かされた。

特に、福祉制度をいろいろ利用していた時に、「お前、そういう制度や人たちが自分を助けてくれると思っているのか」「そんなものにおまえの味方はおらへんぞ」とかさんざん刷り込んできた。
むろん、「大佐(精神保健福祉士)」のこともさんざんこき下ろした。

父親には、「父親が味方にならないから自分で味方を作ろうとしている」ことが全く分からないらしい…

「お前の味方は自分しかいない」「自分こそがお前の理解者だ」
これらの言葉は「毒親の始まり」ともいうべきキーワードだと思う。

それではまた。Adios amigos!!