ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

「社会的弱者の毒吐き系ブログ」で、読者がやってはいけないこと。

こんばんは。Buenas noches!!
10月下旬から更新が無くてごめんなさい…
本当に体調が悪く、結局2週間以上職場を欠勤する羽目になってしまった…

おかげさまで今月から仕事には復帰できているんだけど。

さて、今回は私が見てきた「社会的弱者の毒吐き系ブログ」において、読者がやってはいけないこと(主にコメント投稿で)を綴ってみようと思う。

ちなみに、ここでは「ぼそっとプロジェクト」「高齢ひきこもり」を「社会的弱者の毒吐き系ブログ」の念頭に置いている。

①説教、特に主流秩序の視点からの説教

この手の毒吐き系ブログを見ていると、ときおり「公認された社会的弱者への憎悪」が顔をのぞかせている時がある。

たとえば「ぼそっとプロジェクト」の場合、主宰「池井多」氏が母親はじめ女性にひどい目に遭わされたために、平然と「女尊男卑」という言葉を使い、「フェミニズムへの憎悪=ミソジニズム」全開というべき内容の記事も見受けられる。

しかし、だからといってここで「それは女性差別だよ。いっていいことと悪いことがある」などと説教してはならないと思う。

彼ら彼女らは、とにかく「憎悪=毒」を吐くことによって精神の安定をたもっているわけであるし、「毒を吐くこと」に対して「倫理」を求めることは筋違いだと思うからだ。

もっとも、「毒吐き」にも限度があり、いわゆる「ヘイトクライム」を煽る内容のものは絶対に許してはならないと思うが。
なぜなら「ヘイト」の対象にされた人たちは「本当に殺されるかもしれない」と感じるからだ。

②内容に対する具体的な提案・提言

高齢ひきこもり」というブログでは、よく、

「たった一人で取り組め、かつ他人と接触する必要のない仕事」

の発掘が必要だ、とことあるごとに漏らしていたが、これに…

「こんな仕事があるんだけどどうですか?」

などとコメント欄などで提案することはやってはいけない。
ちなみにその仕事の一例を貼り付ける。↓

www.buzzfeed.com

なぜなら、このケースの場合、「こういう仕事があればいいのに」と言っているのは、

「自分は社会不適応のHIKIKOMORIでござい。40年以上生きてきてあらゆる仕事になじめない存在でござい」

というアピールでしかないからだ。

ちなみに私の場合、

  • 父親から仕送りばかり貰って申し訳ない」という内容の記事に対して「あなたは発達障害の疑いがある。認定を受ければ障害基礎年金がもらえるかもしれない。そうすれば仕送りに頼らなくてもよくなる」と提案したこと
  • 「頼れるのは恋人のRさんしかいない…」という内容の記事に対して「もっとあなたのことを支援してくださる仲間(主にジョブコーチ)を作ればいいと思うけどなあ」と提案したこと

によって、ブログ主「二条師匠」から嫌われてしまった。

毒吐き系ブログは社会提言や議論が目的ではない

大体以上なのだが、ここで言いたいのは、

毒吐き系ブログは社会提言および議論が目的ではない

ということだ。

その手のブログで上記2つのことをやってしまうと、最悪の場合「アクセス禁止(アク禁)」されかねない。

とにかく、

「俺が受けた毒=苦しみを聴け!!」

というのが毒吐き系ブログの目的なのだ。

そう言う場合、「毒」を受け止め、主張に同意するコメントやリプ(反応)をすることが正しい。
まさに以前綴った「大佐(精神保健福祉士)」のやり方。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

 

ちなみに弊ブログは「毒吐き系」であるとともに「社会提言系」ブログでもあるので議論は大歓迎。

追伸

今回、「毒吐き系」という言葉を使用したが、こちらの記事を大いに参考にさせてもらった。

www.buzzfeed.com

記事から一部を引用。

「書いているときは、パソコンと私っていう世界の中で、ある種の信頼関係の中で自分の書きたいことを表現できる。そこに描かれるのはユートピアみたいな世界ではないですけど、信頼のある場で苦しみを吐露していく中で、自分が救われていっている、という感覚があるんです」

毒吐き系ブログ主たちにとって、ブログこそが「信頼のある場」なんだろうと思う。

それでは。