ぶた猫ぶーにゃんの社会的マイノリティ研究所

私、ぶた猫ぶーにゃんの「社会的マイノリティ」について考えるブログです。主に社会的マイノリティ、そして彼ら彼女らを侮辱する「毒オトナ」について綴っています。

毒オトナの条件・第一部最終回「毒オトナに殺されないために。そして毒オトナにならないために」

おはようございます。

今回は「毒オトナの条件」第一部最終回。

「毒オトナ」に殺されないために。そして毒オトナにならないために

本シリーズ連載では、社会的弱者、特に「公認されない社会的弱者」の尊厳を踏みにじる「手口」を紹介し、こういう言動をする人たちのことを「毒親」にちなんで

「毒オトナ」

命名した。

私自身も毒オトナたちのマウンティングや無責任発言にさんざん苦しめられた。
特に「お前はNEETだろ社会の屑だから死ね」と言われたときは本当に「堪えた」。

マウンティングなどの「毒オトナしぐさ」を受けた側は屈辱と自己嫌悪に陥る。
まさに「魂の殺人」といっていい。

一方、私自身も主にマウンティングを中心に「毒オトナしぐさ」をやってしまったことも本シリーズ連載で綴った。

そこで今回は第一部最終回という形で「毒オトナに殺されないために」「毒オトナにならないために」何が大切かを綴りたいと思う。

やっぱり「脱・主流秩序」

以前、こういうことを綴った。

常に「下」の立場に対してだけ向けられ、「上=主流秩序」の立場に対して向けられることは決してない

毒オトナの条件・第7回「トーンポリシング」 - 豚猫大好きぶーにゃんの社会的弱者研究所

 これは「トーンポリシング」について綴ったものだが、「毒オトナしぐさ」の毒牙は常に「下=非・主流秩序」に対して向けられる。

また「年越し派遣村」バッシングを引き合いに出し、「非・主流秩序の側が『自分はあくまで主流秩序の住人だ』ということを確認する(マウンティング)ために非・主流秩序の側を叩く」さまも綴った。

私は言いたい。

やっぱり、「脱・主流秩序」が第一だ。

非・主流秩序の側を侮辱して「自分は主流秩序の側だ」と叫んでみたところで、大金が舞い込むわけでもない。*1
そんなことをしてなんになるのか。
そんなことよりも、「非・主流秩序の側が『生きやすく』なるために」なにか行動をすべきなのではないだろうか。
「非・主流秩序」というのは「殺される側」である。
殺される側を守るべく戦う方が主流秩序=殺す側の住人アピールすることよりも「かっこいい」と思う。

ステレオタイプ・観念論に毒されないために

本シリーズ連載では「ステレオタイプ」についても綴った。

 

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

その中で私はこう綴った。

こういった前提認識=ステレオタイプをもってすれば話題について行けるのはもちろん、他の方もたいていステレオタイプを共有しているので「話が合う」。

そしてこのようなステレオタイプの「生産拠点」は、 テレビや雑誌、新聞などのマスメディア。

毒オトナの条件・第2回「なんでもかんでもステレオタイプ」 - 豚猫大好きぶーにゃんの社会的弱者研究所

 以前、「観念論と唯物論」についてある方の講演を聴講した。
唯物論は「ものごとの『ありのまま』を見る」、観念論は「ものごとを『思い込み』で見る」ことなのだとその方は仰った。

つまり「ステレオタイプ」≒「観念論でものごとを見る」ことと私は思った。

そしてマスメディアこそ「ステレオタイプ≒観念論でものごとを見る」ように促す装置なのではないかと私は思うのだ。
この手のマスメディアに出演している学者、文化人、芸能人etcが「●●は××だ」といえば、それに接触している人たちも「そうか、『●●は××』なのだ」と思ってしまうのではないか。
一個人が「●●は××だ」と言っても聞く耳は持たないだろうが、マスメディアを通すととたんに「何かをわかった」気になり、信じ込んでしまう。

「毒オトナに殺されないため、毒オトナにならないため」にも、できるだけマスメディアの接触は控えたいところである。
「脱・主流秩序」の側に立ち、自分の目でものごとを確かめることを心がけたい。

それにしてもNHK含めどのテレビ局も横並び的に放送するようになった「情報バラエティ番組」は「ステレオタイプ生産拠点」の最たるものだと思う。
「HIKIKOMORI」に対しても牙を向けたし。

sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp

とりあえず最後に。自分のことを受容してくれる仲間を見つけよう

最後にはやはり「自分のことを受容してくれる仲間を見つける」ことを勧めたい。
毒オトナに苛まれている人たちにとって一番難易度が高いものだと思う。
しかし難易度が高い分、うまく巡り合えた場合の「人生の充実感」は相当なものになる。

私の場合は精神保健福祉士の「大佐」や、障害者職業センターのカウンセラーである「中将」がいた。
最近では「共産党」もここに含まれる。

特に共産党生活保護はじめ社会福祉制度を利用する際に同党メンバー(専従職員)を同行させるとお役所職員も聞く耳を持ってくれるという。
ゆえに主流秩序=毒オトナの側にとっては存在自体が面白くない。
逆に言えば非・主流秩序の側にとってみれば心強い味方だといえる。

よく、体罰を受けた人は自身も体罰を振るうと言われる。
これは毒オトナについてもいえるだろう。
毒オトナの中にどっぷり漬かってしまうと自分も毒オトナ的価値観を持ってしまう。
しかし、毒オトナでない=非・主流秩序の側にいれば、自分もまた人にやさしくなれるのではないかと思う。

2018年の弊ブログ更新はここまで。

2019年もよろしくお願いします。

*1:まあ、ブログなどをやっているとアクセス数(PV数)は多少上がるかもしれない。